年代によって考えることも日々のテーマも異なります。50代とはどのような年代なのでしょう。50代と言えば、人生の後半に差し掛かる年代とも言えるでしょうか。いろいろな表現をされる年代であると思います。
50代女性の生き方とは
まず、50代について、心理学でもよく話題に出る、中年の危機、人生の正午を取り上げてみました。
中年の危機
40にして我惑わずという言葉があります。不惑の年です。50代といえばもう不惑を越えているものなのでしょうか。迷いのなさそうな人もいそうですが、そうでもないのではないでしょうか。迷うからこそわざわざ不惑などという言い方をしたのかもしれません。
人生の正午
ユングは、生の半ばを人生の正午と言いました。夕日のように輝きながら人生の後半が進んでいくというイメージだと考えます。年を重ねることは一般的に衰退を指すことが多いわけですが、ユングは人生の後半にも夕日のような輝きをイメージしていたのです。
朝日が昇るイメージからは、躍動的な印象を受けますが、夕日の沈む様もまた趣深く、美しさを覚える人さえあるでしょう。どちらも、しっかり意味のある時間なのだとユングが言っているようでもあります。
- 参考サイト:カール・ユング
50代特有のイベント
50代の多くの人が経験するイベントにはどのようなものが挙げられるでしょうか。
一概に言えるものではありませんが、例えば、子供の結婚、両親の病気や、両親との死別、介護、働いている人であれば昇進、自分自身の健康不安、その他、熟年離婚などという言葉さえあります。こうして並べてみるだけでも、穏やかなばかりではないことがうかがい知れます。
このような事があるからこそ、自分自身の生き方に再び意識が向きやすくなる時期とも言えるのではないでしょうか。
受験校を選ぶとか、結婚するときなどは、自分の生き方に意識が向きやすいように思います。しかし、その後の人生の中で、女性の場合は出産があるにしても、結婚に匹敵するようなイベントはそう簡単に現れそうにありません。見渡してみるとそれらがちょうど50代頃にまとめてやってくるようにも見えてきます。
ある女性の場合の生き方
少し人物をイメージしたいと思います。 ある架空の50代女性の生き方を物語風に記述してみます。
- 子育てに一段落したAさん
彼女はもともと働いていましたが、出産をきっかけに20代の後半に仕事から離れ、家庭に入っていました。この時期それが良いと感じた選択だったのです。そして非常に良いお母さんになりました。
20数年を経て子供が育ち、家を出ていくことになりました。Aさんの子育ては一段落ついたのです。子育てに終わりはないとも言いますが、それにしても一段落着いたのは確かでした。Aさんの年齢は50代に入っていました。
子育てが一段落ついたとき、Aさんの人生はどのような方向に向かっていくのでしょうか。
5年前の出来事
今のAさんの話を進める前に、5年前の出来事に遡りたいと思います。実は、このことが今後のAさんの生き方に関係していきまます。
仕事を離れてからのAさんは、子育てにも関係して、町内のいろいろな催しに参加する機会がありました。その中には、滅多にない事ですが、遠方に出掛ける研修旅行もあったのです。ずっと忙しくしてきたAさんでしたが、このときには、行ったこともない土地を見て回ることができたのでした。
そこでのことは、また忙しくなってしまってすぐに忘れてしまいましたが、何か非常に興味深い出来事だったことを覚えていました。知らない街には、全く思いもつかないことがあるのだと好奇心をかき立てられたのでした。
仕事に戻る
さて彼女はまた仕事に戻るのでしょうか。ですが、Aさんの心境も出産前と全く同じではありませんでした。5年前の出来事をきっかけに、内々に考えていたことがあったのです。子供が出て行ってしばらくは抜け殻のようになっていましたが、今まで考えていたことを実行に移そうとしました。
それは仕事に戻るということではなく、あることに時間を使いたいとの思いがあったのです。
旅行
実は見知らぬ土地を見て回ることに感心をもっていたのです。5年前の町内旅行がそれを教えてくれていました。
家庭があるとなかなか難しいことでしたが、旦那さんも興味をもちました。もちろん毎日旅行に出かけるわけにもいきませんので、平日はアルバイトをはじめて資金を集めることにしました。Aさんによれば、単に収入を得ようとした時より、目的をもって働きに出た時の方が、疲れ方は違ったそうです。
Aさんの興味は、温泉旅行などとは別のところにあり、史跡を巡ったりその土地のことを詳しく知りたいという希望がありました。温泉旅行とは違いこれには、余りお金もかからず、アルバイトで得た収入で十分でした。
そして一度位は、エジプトなどの遺跡に出かけ古代の謎を解き明かしたいとの思いもありましたがこれは旦那さんに止められてしまいました。国内を対象とすることにしたのです。
少しも気付かなかった
旅先では、これまでの50数年少しも気付かないでいたことばかりの連続でした。地元に幾つもあった山の名前さえ知りませんでした。調べれば古墳や神社がたくさんあり、歩いてみれば化石さえ拾うことがあったのです。いつもさりげなく生えていた草にさえ名前があったのでした。
これまで少しも気付かなかったのです。ここに今後のAさんの今後の生き方がありそうな予感が強まっていきました。旅をすることにどんな意味があるのか、人によっては面倒だと考えることもあると思います。
Aさんの場合旅には大きく分ければ、夫婦の時間を大事にできること、それから、自分自身の興味関心を生きられることがありました。子育て中とはまた別な充実感を伴った日々が始まったように感じられてきたのでした。
まとめ
人生の中ではどこにスポットライトがあてられるでしょう。ライトがあたると影がうまれます。人の一生も似たようなところがあり、一つの一面が浮かびあがっているだけに過ぎないのかもしれません。
Aさんは、子育てをしていたころ、自分の興味という点にはあまりスポットライトをあてずらかったようです。シャドウの様な事なのでしょう。
むしろ考えることもなかったのではないでしょうか。子育て後の人生では、自分の興味にスポットライトがあたりはじめたようです。
もう一つ加えるなら、子育てをしていた頃の時間が無駄とか、苦しい時間だったかといえば、そういうことではないと思います。その時々で、意味ある時間を生きていたのではないでしょうか。また、50代以降の生き方を見つけるためには、子育てに臨む必要があったとも見えます。
生き方を考える時、いったい何がどう良い方向に作用するかわからないものです。ピンとこないで過ごしていた時間にも、実は意味が含まれているのかもしれません。
- 参考サイト:シャドウ