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心理臨床オフィスまつだ

人に遠慮してしまう

遠慮深い人 自分自身のこと

人間同士が一緒に行動すると、全てが同じになるはずはありません。食事に出掛ければ、ある人は和食が食べたいと感じ、ある人は中華と感じることでしょう。

このような時、一体どちらの意見が優先されるのでしょうか。

人に遠慮してしまう場面は、人間関係の中に多々あると思います。果たして、これは悪いことなのでしょうか。

遠慮してしまう人、しない人

先ほどの話の続きになりますが、会社の同僚たちと食事に出掛ける時、あっけらかんと「私は中華がいい!」とはっきり言い放つ人を見ることもあると思います。数人の集団であれば一人くらいはこのような意見を言うのではないでしょうか。

レイラ
レイラ
今日は絶対中華よね!ね?ね!?そうでしょ!

他の人が意見をはっきり述べない場合には、中華に即決する可能性があります。

中には、どっちでもいいと感じている人もいるでしょうし、結局いつもあの人が決めるんだと覚めた目で眺めている人もいると思います。

どうしてあんなにはっきり言えるのかしら・・・
ステファニー
ステファニー

早い者勝ち

集団内における決定では、早い者勝ちのようなところがあるように思えて仕方ありません。

小学校位の授業で手を挙げると先生から指名されますが、あの時でも、教師は、毎回同じ子供を指名しないものでしたが、年齢を重ねるにしたがって、関係なくなっていくのでしょうか。

主張が強い人の方が、能動性があって、自主的で積極的で良いと見なされているように思える場面が散見されます。

拮抗・難航の元

敢えて言わない

もし、同じ位に別な意見を強く主張する人がいれば、決定はもう少し難航するでしょう。

難航した場合、必ずしもスムーズに決まらないことも多く、また一見譲り合っているように見えて、内心では激しいものが渦巻いていることもあります。

遠慮しがちなのもその人らしさ・持ち味ではないか?

しかし一方で、遠慮して自分の意見を言わない人も何人かはいることでしょう。

時に、この在り方は、「いつも自分は遠慮してしまう・・・」、と悩んでいる人もいらっしゃることだと思います。

もっと積極的になるようにとか、自己主張をすべきだと言う人がいることは確かです。しかし、遠慮がちな態度や在り方は本当に否定されるべきことばかりなのでしょうか。

調和を保っている

雰囲気の良いチーム

遠慮することをその人らしさと見るおつもりはないでしょうか。中には遠慮する方が心地が良いこともあるかもしれません。主張すれば集団に波風が立ちますし、良く思わない人が出てくることもあります。

遠慮できる人とは、このような調和を知らず知らず守っていてくれる存在でもあると思います。相手の事を思いやる、人間にとって非常に大切な態度ではないでしょうか。

目立たないことで妬みや攻撃を回避

また、出る杭は打たれることも多々あります。これは、まぎれもない事実だと思います。積極的・外交的になることを求められることはたくさんありますが、それは同時に目立ち、人の注目が集まりやすいことでもあります。

この視点から考えると、遠慮してしまう人は、目立ってしまったことで被りかねないいわば攻撃を、いい意味でしっかり回避しているとも言えるのではないでしょうか。

関連サイト:自分に自信がない

遠慮しなくなるためには

ピザを平等に分ける

遠慮する人は改めなければ行けないなどと言う風には思いませんが、一応この点にも触れておきます。

遠慮してしまう人がもっと、せめて不条理な扱いを受けたり、損をせず生きていく道を見出すという観点から述べています。

遠慮してしまう自分の在り方に自信をもった先には、どんな展開があるのか。この辺りがイメージ出来たら、遠慮がちも悪くないという風に思っていただけるでしょうか。

例えば、誰かと二人でピザでも食べていたら、半分ずつ分けて食べることが公平です。

しかし、お腹すいたーなどと聞こえたら、遠慮がちな方は自分は控えめに相手に多めに食べてもらうかもしれません。同じお金を払っているのですから、細かく考えれば、100円位奢って差し上げたことになります。

  • ①この際、相手が少しでも得をしてやるというタイプの人であれば、その人は、しめしめと思うでしょう。
  • ②また、自分同様に、気をつかう人であったら恐縮する可能性があります。

悪意には抵抗して良い

①に関してです。もし、悪意の存在に確認がついた場合には、その気遣いを振りまくのはもったいないことになります。吸収されるだけになってしまうのですから、もっと別な人に気遣いを集中するために毅然とする態度がうまれないでしょうか。

つまり、遠慮を気遣いと考え、気遣う相手を選ぶという発想になります。長く気遣いを続けるためには、悪意から身を守らねばなりません。

断れない人を狙って勧誘活動をする人もいます。

相手に気をつかわせないために自分を大事にする

②についてです。こちらの方が悩みの種になっているのではないかと思います。

もし、自分がピザを遠慮したら、相手も敏感に感じ取り、遠慮をはじめるか、後から気づいて罪悪感を残すでしょう。そうすると、遠慮が相手に罪悪感を生む結果となります。

これは望むところではないと思います。

そのため、この場合は、半分はしっかり食べるということこそが、気遣いになります。

強欲な人になりたい?

最後にもう一つ触れておくと、よくありがちな発想では、自分を変えるにはと考え始めて、「強欲な人」になっていこうとする傾向です。それは、本当に望んでいる方向なのでしょうか。

又、人間幾ら謙虚でいようと思っていても、時の流れとともにいつの間にか強欲になってしまう事の方が多いのではないでしょうか。

まとめ

本人が悩むときには、どこか隅に追いやられているような惨めさのようなものを体験しているときではないでしょうか。遠慮しても誰も気づいていなかったり、自分たちよがりになってしまう人もいるものです。

別に感謝されたいわけではないと思いますが、何か釈然としない気持ちが残る結果になるのではないでしょうか。カウンセリングを行う場合は、この辺りをどう考えて行くかが一つのテーマに感じられてきます。

或いは、修正ではなく、遠慮深いという持ち味を生かしたバージョンアップを図るという視点もあるかと思います。いつしか、謙虚な人と呼ばれるようになるかもしれません。

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