カウンセリングを勉強していくと、人には様々な側面があることに気づきます。
シャドウはユング心理学の概念です。
例えば、ある生き方をしている人には全くほかの面が存在しないのかというと、そうではないようなのです。
ある人は、学問の世界一筋であったり、スポーツの世界一筋であったり、思い思いの生き方をなさっているわけです。
そのような方を見ていると周囲の人は、あの人は真剣にスポーツをしている姿が似合っていて一番いい、と感じるかもしれません。
しかし、この見方はあくまで、その人のある一面を捉えた言い方であり、その他の生き方を展開する可能性が十分に含まれていると感じます。
表に現れていない影
表には現れていないけれど、その人の中でどこかうごめいている別な側面が存在している可能性もあるわけです。いわば影の様な存在です。
人生の岐路にあるとき、今までの仕事をお辞めになる人や、全く経験のない世界へ足を踏み入れていく人をみかけることも少なくありません。
これが人生のどの段階で訪れるか、または訪れることがないという可能性もあるかと思いますし、実際には訪れなかったけれど、眠っていた側面を芸術に現すという人もいるかもしれません。
普段観察しているその人は、ある一面であり、多様な可能性を持った存在であるのかもしれません。
人生のどこかの段階で、それまでの生活環境を一変するような出来事が起きることがあります。例えば引っ越し、結婚、別れ、進学、就職などがあります。これらをライフイベントと呼ぶことがあります。
良くも悪くも、何かの変化が自分自身の生き方を考えるきっかけとなることがあるようです。
就職をきっかけに、地元を離れた青年は新しい街で、新たな人間関係を持ち働く中で、それまで考えたことのないような感覚を覚えるかもしれません。
それは自分一人で生きることへの戸惑いであるかもしれません。地元を離れる前に築いていた自分自身のスタイルは、案外長くの友人や家族の存在に影響を受け、保たれていたということに気づいた場合には、自分らしいスタイルということがわからなくなってしまうかもしれれません。
浮かび上がる影
「今までは、当たり前のように生活していたけれど、自分にとって落ち着くライフスタイルってどういうものなのだろう?地元にいたころは案外無理して人付き合いなどしていたんだろうか、本当は人付き合いは少ない方が自分にはあっているのだろうか。なんだか一人の方が落ち着いているようにも感じる」
などという問いかけが、地元を離れたことをきっかけにはじまっているかもしれません。
悩んでいるように見えると気の毒な感じがしますが、別な見方をすれば、青年は自分らしい生き方を見つけようとしているわけです。
青年にとっての新たに見つけた自身の一側面は、<一人の時間を豊かにしていく方向性を備えているということだった>という可能性も十分にあるわけなのです。