卒業を経験するとき、仲間や先生たちとの別れということがあります。卒業式が近づくと、普段何気なく接していた人たちにやたらと親近感を覚えるという経験をした人も多いと思います。
なかにはそうした様子を冷静に見ていたという人もいるでしょう。
この卒業というライフイベントですが、よく考えてみると、何かが終わることは、それだけのことを意味しているわけでもないのではないか、とそのようなことを強く感じるイベントにも思えます。
卒業は悲しくて、期待もある
卒業は多くの文学や映画、ドラマなどにも登場します。センセーショナルに描かれたり、思い出として描かれたり、様々な角度から描写されているように思います。
人によって悲しさが強調されることもあれば、やっと自由になれるという感覚を持った人もいるでしょう。
全体的なムードとしては、悲しさや惜しさが漂いやすいイベントだと思います。
卒業したら今までとは違い、顔を見る機会も減ってしまうとか、もう二度と会えないのではないか?と感じることもあるでしょう。同じ町に住んでいるような場合にもこうしたことを感じると思います。
それでは、卒業の際のムードは、こうした惜しさや悲しさだけに包まれるものなのでしょうか。
多くの人が体験したと思われるように、そこには、また少し別なものが含まれていると感じます。
何かが生まれていることも
卒業は、終わりではないという側面を持っていることを、そもそも多くの人が知っているのだと思います。自立の時と表現する文化人もいれば、さらなる自分自身への模索の時期と考える心理学者もきっといたことでしょう。
しかし、意味を感じていたとしても、泣きながらそのことを話していたりするわけで、十分に惜しんだ後に、そのことの意味に辿り着くということもあるでしょう。
泣きながら笑う卒業
卒業は泣きながら笑うような性質を持ったイベントとでも表現できるでしょうか。
結婚も、喜ばしいときであるのに、泣いている人がたくさんいます。立派に育ってくれたという涙だけではなく、別れが惜しいという涙も含まれていることでしょう。
卒業もこんなふうに、嬉しかったり悲しかったりが、いっぺんに訪れるイベントのようです。
この微妙な感情は、もし我々の感情を知らない人に説明しようとしたら難しいことになるかもしれません。
小さい子供などはもしかしたら理解に時間を必要とするかもしれません。
「楽しい時には笑うのでしょう?どうしてなぜ泣いているの?」などと疑問に思うかもしれません。
確かに不思議な気持ちがあるものです。