【ブログ運営元オフィス概要】

心理臨床オフィスまつだ

代表:臨床心理士 松田卓也

所在地:千葉県柏市3丁目7-21 椎名ビル 603

電話番号等:ホームページでご確認下さい

心理臨床オフィスまつだ

働きたくない

もう働けないです

社会の中で、働きたくないという率直な思いを表現する機会はなかなか少ないように思います。しかし、人によって内容はことなるにせよ、誰しも働きたくない気持ちを持っているのではないでしょうか。

ある人は、行き詰った時にそれを感じ、ある人はそもそも全く働きたくなどないと感じているはずです。このような気持ちはうっかり口にしてしまうと、予期せぬ説教を受けることに繋がることもあり、言葉にしても大丈夫な場面を選ぶことが肝要かと思います。

もう働きたくない

帰りたい

逆説的なことを言うようですが、毎日働いている人でも、働きたくないという気持ちが、働くことを支えている面がないでしょうか。

働きたくないという気持ちを誰かに話したり、冗談交じりにでも表現することで、仕方ないけどまた明日から出て行くか、という気持ちに戻るという話はよくありそうなものです。飲み会などの話題は、仕事の愚痴が中心になることが多いと感じる人もあるでしょう。

働きたくない気持ちに支えられている

仕事には充実感や働き甲斐があるべきと世間は主張しますが、

嫌だ嫌だと言いながら働きに出る仕事があっても良いのではないでしょうか。もしかすると現実は、嫌だ嫌だと言っている人の方が多いのかもしれません。(無理にでも行かなくてはいけないこととは違います)

文句を言いながら働くというスタイルが一番しっくりくるということだってあると思います。カウンセリングでは、働くことにプレッシャーを感じた時には、このような視点も役立たないものかと感じています。

整い過ぎたら文句を言えなくなる

最高の職場

この線で職場環境を考え出すと、余りに完璧に整備・対策された職場は逆に文句を封じ込めてしまいかねません。

つまり、

ミカエル
ミカエル
会社は十分に環境を整えたのですよ。これで思い切り働けますね。

などということになってしまわないでしょうか。

これはちょうど、丁寧な敬語をマスターした人と似ています。私は失礼のない態度です。あなたが問題なのでは?と、ぐうの音も出なくなくなってしまう事があるのです。

スージー
スージー
お客様、大変失礼致しました。どのようになさいますか?

拘束されている感覚がきつい

働きたくない背景に、「社会からの拘束」が挙げられないでしょうか。

一端働き始めてしまうと、まず通勤という問題があります。自分の自宅から半径数キロ以内で人はだいたいの生活が出来てしまうものですが、通勤となると、数十キロも毎日移動することになります。それも満員電車だったり、朝早くにです。これを週に5日欠かさず行うことになるのです。

こんな拘束感はたまったものではありません。

恐怖感も漂っている

そして、恐怖感も感じ取れます。実際、危険な会社はあると思いますし、昨今の報道を見ていると、決してあんなところに働きたくないと思うこともあります。パワハラ、残業、転勤・・・などなど何が起こるかわからない場所に出て行くのは恐ろしい事です。

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働かない選択もある

本当に働くべきなのか、これは難しい判断が付きまといます。日本国憲法がどうとかさておきです。

生活のためと、やむを得ず出る方もあるでしょう。罪悪感のようなものに突き動かされてという方もあれば、人生の充実感を得ようと出る方もいて、様々です。

もし働くにしても、様々な働き方が存在します。

会社員以外の働き方

働くにしても、会社勤めは真っ平だと感じる方は多いと思います。

昨今の日本社会は、どこも大手グループの傘下に入っており、個人経営の小さなお店が減っています。試しに、食堂を探してみて下さい。デニーズやガストはすぐに見つかっても、そう簡単に個人経営の食堂に辿り着けなくなっています。

これは少子高齢化の影響と説明されることもあります。

小規模事業者数推移

引用元:中小企業庁 小規模事業者数が減少した背景

また一因には、会社員でないと安定しないという考えがあることも想像されます。

個人経営ならやってもいいと感じる方であっても、お店を出すことが難しい時代でもあるようです。

俺は魚屋だからやってこられた!

おそらく、個人経営の魚屋であれば50年でも働き続けられるが、会社勤めは3年が限度という方もいることでしょう。(当然、魚屋の方が簡単であるなどと言っているのではありません。向き不向きのことを言っているのです。)

今新しく魚屋をはじめようとするにはどうしたらいいのでしょう。どこかのまちの後継者として手を挙げるくらいしか思いつきません。

個人経営の新しい魚屋が開業した話は聞きません。どうしてもスーパーの中の鮮魚コーナーが頭に浮かんでしまうのです。

働きたくない人が、働くことになってしまったら「嘆き悲しめる」場が必要

残念会不運にも働くことが決まってしまったら、当人は喜べるような気持ではありません。

こんなとき、就職を祝う会を行っても楽しめません。

日本社会は形だけでも、「壮行会」・「祝賀会」のようなものを開きます。とにかく前向きな体裁を取ろうとするものです。

一方「残念会」は余り聞きません。「慰労会」ならば、時々耳にする機会もありますが、これは一苦労終わった後の慰労の意味なのでしょう。これから大変なことが待っているときに催される会はどうしても前向きな会になってしまうのです。

名前はどうあれ、もしも就職が決まってしまったなら、「嘆き悲しめる会」が必要ではないでしょうか。この方が、その人の心情に添った催しになります。

働くことを強制するのがカウンセリングではない

カウンセリングをご検討いただく場合、「働きたいと思えるようになりたい」とするニーズもあるのかもしれませんが、働くことを前提には考えておりません。十分に働きたくない気持ちを深堀することにも意義を感じております。

例えば、働き過ぎて働きたくなくなってしまっているのかもしれません。又は、どこか充実感を得られない環境にあるのやも知れません。自分の気持ちがわからなくなってしまうこともあるものです。(関連ページ:自分でも何に悩んでいるかわからずもやもやする )

カウンセラーにより考え方も異なるかもしれませんが、少なくとも働きたくない思いを否定はしたくないと思っております。実際に、うっかりとでも働きに出てしまうのは危険という側面があるとも認識しております。

カウンセリングを通しての自由な対話の中で、何かが見出されるかもしれません。

まとめ

働くことについては、かつての日本社会とは社会構造そのものが変化してきているため、かつての価値観でそのまま考える必要はないと感じます。ましてや多様性などというようになっているのですから、労働の画一化についてもよく検討される必要があるでしょう。本当は自営業のように働きたいのにやむを得ず会社員をやっている人はたくさんいるのではないかと推測しています。

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