政府が発表する資料の中には、自分自身の生き方と関連するような、興味深い内容を時々見かけます。そしてそれらを目にするときには、一方で、焦りを感じたり、プレッシャーを伴うこともあるのではないでしょうか。
世間や政府が勝手に言ってるだけには乗りたくない
例えば、結婚、未婚に関する年代別のデータがあったらどうでしょう。結婚している人の平均年齢を既に越えていたりしたら、内心穏やかではいられなくこともあると思います。
しかし、自分には自分の生き方というものがあったり、あるいはなかったりで、平均に合わせることが良い事とも思えず、ただただ疑問や迷いが漂うということの方が現実に近いのではないでしょうか。生き方がわからない、と感じることすらあるでしょう。
多くの場合、多数派と違うことをしている場合、自分はこれで良いのだろうかという迷いが生じてくるように思います。データとはこのような特徴ももっていると思います。また、案外データを見る時の視点が偏ってしまうこともあります。
例えば、自分の職業が全体の職業の何パーセントかということを知らずに、結婚の平均年齢ばかり見てしまいますが、場合によっては、職業によって、平均結婚年齢が変動することは十分に考えられます。データから生き方を考えようとする場合には、こうした偏りに注意する必要があると思います。
標語的な文句やキャンペーンにも要注意
標語も厄介な事があります。
もしかしたら感じたことがあるかもしれませんが、大勢や時流が変わると、つい先月まで良しとされていたことが見事にひっくり返ることがあります。
例えばマイナンバーカードの取得についてはどうでしょう。
マイナポイント付与なるものが登場する前、マイナンバーカードに懐疑的な意見がたくさんありました。
しかし、一気に取得率が伸びました。
すると、こんなことを言い出す人がいます。
閾値がある
これは心理学的な話ですが、「閾値」と呼ばれる概念があります。
例えば、行列のできるラーメン屋と言いますが、何人並んだら並びたくなるでしょう。
5人でしょうか、10人でしょうか。はたまた50人並んでいたらどうでしょう。
これには、あるポイントがあるとされています。それが閾値なのです。
マイナンバーカードも閾値を超えて、一斉にそちらにうごきはじめたのかもしれません。
まとめ
こんな世間の中で独り抗うのは大変な事です。抗えば目立つことにもなり、変わり者と見なされることもあります。別にそれでも良いのですが、潜むように紛れ込んで目立たなくなるのも一つです。その場合、自分の中で、自分の意志を保って置ければ良いわけです。
世間の考えと自分の考えとを分離する、こんな気持ちの整理の仕方もあるでしょう。