人の感情は多様です。楽しみや喜びもあれば、怒りや、悲しみも同時に存在しています。
しかしながら、どちらかと言えば、楽しみや喜びなどの、ポジティブ・前向きと言われる感情の方へ我々の意識は向かいがちであるようです。
なぜなのかという疑問も生じることと思いますが、できれば、しんみりした雰囲気に立ち会いたくないという心情があるのかもしれません。
これは誰しもあることと思います。
ポジティブを強要されるのは辛い
カウンセリングの場は、この相反する感情の両方に意識を向ける場であるとも言えると思います。逆に言えば、悲しみや怒りなどの方だけに焦点をあてる場ではありません、両方とも大事な気持ちなのだと思っています。
しかしながら、日常生活上のことを想像するとき、どうしても、ポジティブ・前向きなことへの意識が重視されやすいものです。
カウンセリングでは、日常生活の中で、なかなか意識の向きにくい感情に対しても時間や労力をかけることを否定しない時間であるわけです。
また、ポジティブでありたいのだという気持ちも尊重される必要があることも添えておきます。
周囲の励ましの言葉が辛い時
悲しい事の後には、仲間が励ましてくれたりするものです。その励ましは、心強く、その後の生活を支えてくれるものになるでしょう。
しかし、必ず前向きな方向へ急がなければならないことばかりではないもので、時には、十分に悲しさや悔しさという事を体験することにこそ意味がある場合もあるもののようです。
仲間の励ましは、しばらくの間、大事にしまっておきたいという心情の時もあるのかもしれません。
また、仲間の中には、落ち込んでいる友人に、気まずくて接触したくないという気持ちが起きることもあり得るでしょう。このような、直視したくないという気持ちも、大事にされて良いように感じることがあります。
無理を押してということも良いと思いますが、人間、立ちすくんでしまうようなこともあるものだと思っています。
日本社会の変化
最後に、日本社会の変化に注目したことに触れておきたいと思います。
昨今、カウンセリングの必要性など認識が高まってきていますが、この背景の一つには日本社会の変化が挙げられると考えています。当然のことのような話に聞こえると思います。
思うに、葬儀の簡略化に我々の心はついていけるものなのか(関連ページ)などを例にとっても、人の死を十分に気持ちを整理する時間は、かつてより削られたのではないでしょうか。祭りも、規模を縮小し、年末年始も他の連休との違いがなくなりかけています。
晴着を着る機会がなくなったために、誰かに見せたいという気持ちはどう納めれば良いのでしょうか。その代わりにハロウインが日本にも出現したのでしょうか。
このように、社会の変動と共に、報われない思いが、行き場を探しているかのように感じられてきます。
カウンセリングの場は、このような思いの一端を表現する場としての機能を持っているのではないでしょうか。
あとがき
果たして現代社会はポジティブを強要しているのか?
それもあるようですし、どうやら、もう一つ見えてきたのは、「感じるな」、「仕方ないだろ」、「こっちの方が合理的だ」などということです。