現代はすっかり核家族に移行したと言われていますが、少し思うところもあります。
核家族ではあっても結構近くに両親や兄弟が住んでいる
まず、家族の形に拡大家族と核家族いう分類があり、前者は2世帯同居などの住み方、後者は1世帯での同居という大雑把な分類ができます。
核家族の分かり易い例としては、地方から上京した人が、東京で結婚し、東京に住み暮らしていく場合があります。
この場合、地方と東京の距離にもよりますが、例えば実家が九州であれば、飛行機や新幹線を使わなければ簡単に移動できる距離ではなく、ちょっと顔を出せるようなものではありません。
正月や大型連休などの機会に限定されてくると思います。
一方で拡大家族は、例えばA県の人がB県に住む人の家族と一緒に暮らすような場合がそれにあたります。
核家族と拡大家族の中間形態
この拡大家族と核家族ははっきりと区別されているように見えまますが、中間的な形も存在しているように思います。
例えば、両親との物理的距離を考えると、柏市出身のの人が鎌ヶ谷市に新しい家庭を築いた場合、かなり近い距離と言えると思います。
近い方が何かと安心という事情であれば、物理的距離もそうですが、心理的にも近い距離を感じ、どちらかといえば、拡大家族よりの核家族という見方はできないでしょうか。
場合によっては、拡大家族が良かったけれど、敷地などの関係でやむを得ず核家族の形を取ったという可能性もありますので、核家族が主流になったと言えども、その意味合いはもう少し深く理解する必要があるような気がしています。
夫婦で、意見が分かれるという場合もあるでしょう。
何かの際に安心
共働きも増える現代社会において、子供のことは非常に気がかりです。出産も同様に心細いものです。そのような時、近場に親類がいることは心強く実際的にも手伝ってもらうことが出来るのです。そのためにも、実家近くを選択する夫婦もあるでしょう。
また、料理の一品などを実家から分けてもらう人もいるはずです。共働きでは、まめな料理も相当圧迫されるものです。実家には、保険や車の会社などお馴染みの人がいるかもしれません。そういう安心もあります。
昨今は災害も多く、不安を高めています。
また、介護面においても近くならば小回りが利くという安心もあるでしょうか。
では、夫の実家近くなのか、妻の実家近くを選ぶのか、この問題は重要度が高まるでしょう。そもそも結婚相手の基準を実家近くとしている人さえいるかもしれません。
「嫁ぐ」意識の変化
もう一つ別な観点を入れると、「嫁ぐ」という概念はまた変容してきているように見えます。かつて、こんなセリフを聞いたことがないでしょうか。
- 「お義母さんに許可をもらえて、実家の両親のお見舞いに行ってこられたの」
40年くらい前の生活にはこのようなセリフがあったように思います。これを現代に当てはめるとどうお感じになられるでしょう。嫁いだ以上は、嫁ぎ先がメインということなのでしょう。そのため滅多なことがない限りは帰ってはいけないという意識が見え隠れします。あたかも職場の上司に有給を願い出る時のような感じです。
やはりある種、お嫁さんを労働力と見ていたということになるでしょうか。
さらに遡れば、三木露風作詞の赤とんぼのようなこともあったのでしょう。(十五で姐やは嫁にゆきお里のたよりもたえはてた。)
まとめ
現代社会は、確かに過去とは様々に状況が異なります。しかし、人間の意識は過去のままだったりもします。家族とは必ずこうすべきもの・・・という意識が現代の状況とマッチしないこともあるのだとは思います。様々な葛藤を呼ぶテーマだと思います。
今回は何かと安心する面を多く書きましたが、もちろん近いが故に良くも悪くも喧嘩などもあるでしょう。