誰かのせいで私はこうなった、というお気持ちになられる方もあると思います。
その無念なお気持ちは、どこに向かわせて良いものか難しいものだと思います。
実は、カウンセリングにおいてはそのお気持ちを伺うことはできるのですが、関係者に説教をすることはできないのです。
もしかしたら、そのような事を行っているカウンセラーや医師もいるのかもしれませんが、カウンセリングの本質と照らし合わせて考えると、できない事の部類に入ってしまいます。
カウンセラーは非力で、お母さんに説教できない
カウンセラーは、カウンセリングの場でしかお会いできず、カウンセリング以外の事が何もできません。
カウンセリングとは、そこにお越しになられた方を尊重して会って行こうとする者です。
つまり、母親の言い分にも耳を傾けてしまうことになるでしょう。夫婦関係でも同様のことはあると思いますが、その場合どちらの話ももっともらしく受け止めることになるでしょう。
ここにカウンセリングが1対1を基本としている意味もあります。
また、尊重していくとどちらの言い分が正しいということともかけ離れた方向に話は展開します。
説教がうまい者でもない
また、説教と言うのは非常に難しいものでもあり、反省を求めても逆に反発されたり、言いくるめられてしまうこともあります。より関係を複雑なものとしてしまいかねないと思っています。
お母様も別なカウンセラーを見つけてきて、その人は正反対の主張を展開するかもしれません。これは泥沼ではありませんか。
そういう意味でもおやめになった方が良いでしょう。
もちろん、カウンセリングの場ではなく、信用のおける親戚のおじさんなどが、その役を引き受けることはあるかもしれません。因みに説教に馴染みがあるのは、学校の先生、職場の上司、住職(仏教的意味の説教が専門)辺りでしょう。
つまり道徳的感覚に優れた目上の人を探す事になります。実は、カウンセラーは道徳を寄る辺にしている者ではないのです。
それではカウンセラーは何をするのか
非常に無力な存在であることは自覚しているつもりです。また、派手なものではなく、地道な仕事だと思います。
お話をお伺いする中で、何らかの心理的解決を目指すものです。つまり、これまでの無念な思いなどをご希望があればカウンセリングの場でお伺いしているわけです。
時に、その延長上の賜物か、夫婦や親子関係の関係性が変化していくということはあり得るものです。
そんなものか・・・とがっかりされる方も多いと思いますが、それでもという場合にはしっかりと時間を確保してお会いしています。