【ブログ運営元オフィス概要】

心理臨床オフィスまつだ

代表:臨床心理士 松田卓也

所在地:千葉県柏市3丁目7-21 椎名ビル 603

電話番号等:ホームページでご確認下さい

心理臨床オフィスまつだ

近所の人や親類から、亡くなった母の代わりのように頼られてしまう

代わりになる

母との関係は、母が亡くなったからと言っても、全て終わりとはならないことがあるようです。

母と娘ですから、外見が似ているため、母親と間違われたり、似ているなどと何度も言われた経験を持つ人もいることでしょう。

これをうれしいと感じる人もあれば、生前に葛藤があった場合などは、わずらわしくさえ感じる人もあることでしょう。

母の死に際して、非常に複雑な心情でいる方も多いのではないでしょうか。

亡くなった母の代わりに、周囲から用事を頼まれる

頼ってくる妹

※写真:なんでもかんでも頼んでくる妹

例えば、母親が生前に、何かを用事を定期的に引き受けていた人であれば、その用事を娘が当然に引き継いでいるものと考える人もいることでしょう。これは、母親の偉大さを知るとかいう話ではなく、娘にとっては大変なことと言えるでしょう。母親とは違う環境で生活していれば尚更の事で、自分の家庭のことにだって、いろいろ手間がかかっているはずです。

母が生前に人から頼まれて行っていたこと

これは、数え上げるととんでもない労力になります。その一部を列挙してみます。

母親の面倒見の良さが残された娘にとっては、裏目に出てしまったわけです。母親に怒りさえわいてきそうですが、既に亡くなっています。

お盆やお彼岸時の運転手

送迎に来ましたお墓参りの際、毎年誰が車を出して、送迎していたかを思い出すと、案外母親頼みだったことに気づかされます。

娘目線でいうところの、祖父の命日だったり、お盆やお彼岸です。決して年に1回だけの事ではありません。高齢の祖母のため、車をいつも出していたのです。

また、お墓参りの道具や帰りの食事の場所など、こうした手配を遠回しに、娘へ期待している人がいることは確かでしょう。

平常時の買い物

超高齢化社会においては、地方に暮らす人で車の運転ができない方にとって非常に不便な世の中です。日々の食材を購入するだけでも一苦労になります。

その場合、近所に住んでいる娘を頼って買い物を代行してもらうのです。これは果たしてどのくらいの頻度になるのかはそれぞれでしょう。

受診時の付き添い

診察券とスケジュール

高齢の方は概ね何らかの事情で定期受診しているものです。しかし、その際移動手段が見つからないことが多いものです。その場合、娘に電話してお願いするのです。

銀行に連れて行ってくれないか

銀行は3時に閉まってしまいます。本人でないと色々と手続きが難しいものであり、やむを得ず連れて行くしかないのです。病院同様そこは大変混雑しており、1時間もかかってしまうのです。

母の兄弟の用事を手伝うこともある

母親に弟がいるような場合、それはつまり、お姉ちゃんに頼っている可能性があります。

弟思いの人は、自分の母親だけでなく弟に対しても色々と手間をかけているのでした。

これも娘が引き継ぐことになります。

ちょっとそこまで乗せていってくれないかい?

近所の方にこんなことを頼まれたら断れるでしょうか。不憫な感じがします。一人くらいなら時々なんとでもなるでしょう。しかし何人もいたら大変なことになってしまいます。

猫が来てるぞ

エサ出せ

生前母親が餌をくれていた猫が子猫も連れてやってきます。

父親は「猫が来てるぞ」というだけで知らんぷりです。

帰ってもらうしかないのでしょうか。猫の手を借りたい時でもやってきますが、貸してはくれません。

金を送ってくれ・・・

内緒で息子にお金を送っていたことが判明したりもします。

また銀行に行かねばなりません。

自分の人生とはこのまま母の代行なのか

このように、母親が亡くなったために、自分の仕事が増えることは、まるで母親の代行をしているかのようにも思えるのではないでしょうか。

その場合、自分自身の人生という感覚が損なわれてしまうということもあるでしょうか。

大変な仕事でも、自分の意思で行っているならば、それはどこか納得が良く、心地の良い疲れをもたらせるでしょう。

しかしながら、やりたくもないことを代行するのは、非常に嫌な疲れを伴うのではないでしょうか。

周囲の人は、このような娘の姿を見てどのような気持ちでいるのでしょう?

母親が亡くなったことを、少しやわらげてくれるような心境なのでしょうか?

少しは、娘さんがどこか不憫だと感じる人もいるのでしょうか。

多くの場合、なんだかんだで娘さん頼りになってしまうのが現実ではないかと思います。娘さん自身の人生を大事に考えてくれる人はいないものでしょうか。

母との関係は、こうして亡くなった後も、形を変えて続いているかのようであります。

だからこそ、このことに意識が向いたときは、自分自身の人生に目を向けるきっかけとできる機会となるのかもしれません。

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