爽やかな印象を受ける、夫婦の写真です。新婚でしょうか。夫婦と一言でいっても、新婚、結婚10年、結婚20年などと、様々な段階があるわけですから、そのときどきによって、新婚当初とは何かが異なっているかもしれません。そしてその変化は否定的なものばかりではないでしょう。
夫婦関係
まず、夫婦とは何かと言う点を概観したいと思います。
この人と本当に夫婦になっていい?
その前に・・・
さて、夫婦の話題に入る前に、結婚前の心境について少し触れておきたいと思います。結婚には、大事なことだからこそ期待と不安など、様々な心境が混じっているのではないでしょうか。
幾つかを列挙してみると・・・
- どんな新婚生活がはじまるのだろう?新婚旅行はやっぱり海外!
- 結婚相手の両親や親族といい関係を結べるだろうか・・・
- 共働きになるけれど、家事などうまくいくだろうか
- 子供の名前はもう決めている
- 家族旅行にたくさん出掛けたい
- 高齢出産になりそうで気持ちが焦る・・・
- 夫が仕事を辞めてしまったらどうなるのか
- 離婚する夫婦もよくあると聞くけれど・・・
- 結婚したら人が変わったようになってしまわないだろうか
- 家をまずは建てたいと思う!
- 本当にこの人と結婚していいのだろうか
- 義理のお母さんが一緒に住みたいと言っていたけれど・・・
など
このように、結婚は大きな生活の変化をもたらすことでもあります。確かに、とにかくめでたいと言ってばかりでもいられないようです。やや、不安の方が多い形になってしまいました。とにかく人生においても大きなライフイベントです。
夫婦は新婚からはじまり・・・
新婚夫婦と言えども、早くに結婚する人もいれば、30代や40代に結婚する人もいます。このことからも、新婚夫婦の形からして既に、その在り方は多様であると考えられます。
新婚当初に、特徴的なこととはどんなことが挙げられるでしょうか。
多くの場合、お子さんはまだであるとすれば、2者関係が強調される時期と言えるでしょう。最近では、同棲を経てからの結婚というご夫婦も増えているようですが、それにしても結婚当初は、二人だけの時間が強調されるという特徴が挙げられるように思います。
三者関係としての夫婦
よく耳にする話ですが、「私は、夫のことを良く知らない」とか、「10年ぐらい夫と話をした気がしない」というような世間話があります。
お子さんがうまれてからは、旦那さんと二人で話をするというよりは、お子さんを通して話をするという感覚が強いという意味なのでしょう。
一緒に暮らしているわけですから、話をしていないはずはないと思いますが、感触としてはこのように体験されることもある模様です。専業主婦で、旦那さんが働きに出ていると、案外二人きりの時間は、本当に限られてくるものなのでしょう。
「お母さんに、あれ渡しといて」などとお父さんから頼まれた経験を持つお子さんもまた多い事でしょう。
夫婦の形態
このように、時系列に沿って夫婦についてまとめていけば、その時々の夫婦の形態に特徴があり、そして変化していることに気づくと思います。
家族心理学の分野では、おそらくそのような研究も実際に行われているでしょう。
新婚当初の夫婦の形態が、最も素晴らしい、と考えると、なんとなくピークに達した後は衰退していくイメージに感じられてきますが、仲の良い老夫婦など見ていると、決してそういうことばかりではないと思えて来ます。
何か、夫婦の中でその在り方に疑問を感じることもきっとあるのだと思いますが、それは夫婦関係が次の段階に進むための準備のようなものなのかもしれないと、そんな視点もあって良いのではないかと感じています。
多くの女性が働く時代へ
昨今のテーマとしては、女性の社会進出が進んでおり、共働きの夫婦が増えていることが挙げられると思います。
日本社会においては長らく、家事など家の事を、奥さんが担当する者だという風潮がありました。その大義名分として旦那さんは働きに出ているため、と言っていたわけです。しかし、奥さんもフルタイムで働きだしたらこの言い方は理屈が通りません。
なんだかんだで奥さんが仕事も家事も子育ても全てがんばっているようなことも多々あるようですが、この辺りは非常に葛藤を生みそうなところだと思います。
愛情は情愛に変わる
古いドラマなど見ていると、夫婦の「愛情」はやがて「情愛」に変わるなどというセリフを聞きます。
これは一体どういうことを指しているのでしょう。
「新婚で熱々ですね」などと揶揄される表現は聞いたことがある方も多いでしょう。
こちらの方はイメージが付きやすく、「愛情」もこの感覚寄りのことのように感じられます。
そこから50年も夫婦関係が続くと、さすがに新婚のような熱々感は長い年月と伴に抜けていくことの方が多いでしょう。それは、決して関係が冷めてしまったわけではなく、これこそが「情愛」になった、ということなのでしょう。
家族の事は大事に感じるものですが、新婚的な色恋とは別な感覚ですし、恋愛とはプロセスが異なります。つまり「情愛」とは「慈しみ」に近い表現ではないでしょうか。
阿吽の呼吸に至る
長い人生を50年も、60年も伴にした夫婦とはどの域に達するのでしょう。
「阿吽の呼吸」などという言葉があります。
絶妙なタイミングで餅つきをする夫婦を見たことがあります。
特に言葉も発せず、お互いのタイミングを熟知しているからできることです。
この域は、もはや神がかった感じすら覚えます。
ここが夫婦の究極体なのでしょうか。