1対1の場面であれば、事細かにその人に合った時間を共に過ごすことは、ある程度可能であると思います。
しかし、30人や100人の人に対して、全員の意向を同時に尊重しようとすると、どこか無理が生じてくると思います。これは不可能に近い事だと思います。
カウンセリングが1対1を基本とすることにも通じる話題ではないでしょうか。
もちろん、集団であれば、集団への配慮としてできることもありますが、それでもある人にとっては、大人数で何かを進める時には、嫌な思いをさせてしまう確率が高まっているのではないかと思うのです。
皆の期待に応えようとする心理は大変疲れる
そして、集団の進行役を担う人にとっても、全員の意向を同時に応えようとしたら、キャパを越えてしまうか、非常に多大な労力を費やすことになると思います。
学校の先生は気を使っているのか
学校でクラスを担当している先生には、こういう意味でも敬服します。
30人や40人を同時に、しかも毎日なのですから、そこには教師としての力や専門性が発揮された結果なのではないでしょうか。
よく学校では授業の進め方のスピードや深さが話題になります。例えば、中学受験を考えている児童のいる小学校では、難しそうです。
受験を意識して勉強している子供たちからすると、もっと早く教科書を終わらせてほしいとか、受験に対応できる内容ににして欲しいという希望も高まりそうです。
一方、受験を受けない児童にとっては、いつも通りの方が馴染みやすいでしょう。わざわざ、受験問題にしか出ないようなことに対策をする意義も見出しにくいはずです。このような矛盾の中で担任の先生も悩まれることがあるのではないでしょうか。
カウンセラーも集団で何かを行うこともあり、その進行役はファシリテーターと呼ばれます。個人的には、相当の訓練と熟練が必要であると感じています。
せめて安全を守り切る
集団で何かする場合に、意見が割れてしまうことは世の中の常であると、多少は割り切るような心構えがあっても良いのでしょうか。とにかく全員の期待に正確に応えることはやはり無理なようです。
せめて、誰かが怪我をしないようにとか、一方的に責められないようになどと目を配らせて置くことは大事な事だと思っています。
安全が確保されていると、案外、司会者の存在は薄れて、当事者同士の意見交換が活発になる事もあるのではないでしょうか。
こう考えてゆくと、取り仕切る役の人が、「自分がなんとかせねば!」、という意識の高まりが起きている可能性を振り返る事にも意味があると感じます。このようなポジションに着くと、誰しも力が入りやすくなるのではないでしょうか。