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心理臨床オフィスまつだ

師弟関係の先には師匠を越えるのではない道がある

技芸 人間関係の悩み

師弟関係も一つの人間関係と言えます。

師弟関係にまつわることにも、色々な思いが潜在しているように思います。

師弟関係の先には何が待っているのか

仙人のような師匠

何かの技術、思想などを学ぶ際、我々は、その道の熟練した人の門戸を叩くことがあります。

武道にせよ、茶道や華道、政治から落語、小説や漫画家など、あらゆる場面で師弟関係は存在します。師弟という言葉を用いずとも、上司・部下、先輩・後輩などの表現で、師弟関係に近い関係になることもあるでしょう。

自己流も一つの方法だと思いますが、多くの場合師と呼べる人と出会い、そして自らの技術や考え方を深めていくものです。

弟子入りして目指す事

弟子に入ると、そこでの訓練は、師匠により多様な考え方があると思います。カバン持ちのように、行動を共にすることで、段々と上達する場合もあれば、マンツーマン指導を主とする場合もあるでしょう。

秘伝の巻物さえ手に入れさえすれば・・・と考える人ももしかしたらいるかもしれません。

基本のようなものがあるのであれば、まずは、それらを習得することを目指すでしょうか。剣術で言えば、刀の振り方や手入れの仕方、足さばき、間合いなどがそれにあたるでしょう。

日本においては特に、技術のみでなく、態度や人格が、技術と共に鍛錬すべきこととして取り上げられているように思います。

今回、特に述べたいのは、あまり細かい事ではありません。

出藍の誉れ

藍色

「青は藍より出でて藍より青し」と聞いたことがあります。難しく言うと、出藍の誉れ(しゅつらんのほまれ)と言うそうです。

「藍」を師匠と例えるならば、藍を目指して修練に励んだ結果、「青」になったということになります。師匠を越えたともとれる表現です。

「越えた」という表現も一つなのかもしれませんが、よりふさわしく感じるのは、その人の境地に達したということの方ではないかと思うのです。

そして、それが、師弟関係の先に目指す事なのではないかと思います。つまり、師と全く同じになることが完成ではなく、むしろ、自分なりの形を築き上げることの方が重要なのではないでしょうか。

ユングにしても、個性化ということを提唱していました。当ブログでも、ティーポットの中で、ジャンピングする様を個性化に見立てて触れています。

カウンセリングは師弟関係とは異なりますが、やはり、個性化を目指すことが一つのテーマになっていると感じることがあります。

他の人と同じになるというよりも、その人らしい生き方を探し、構築していくことの方を目指しているつもりでいます。

 

偉い先生と仲良くなったが、力はつかなかった人

最後に、皮肉のようなことを書きますが、よく世間では偉い先生に取り入って個別レッスンをお願いしたり、プライベートでも行動を共にするような人が散見されます。いわゆる独占状態です。

その他の門下生は、はるばるその先生を頼って遠方から来ているかたもあるでしょう。しかし、その独占状態が故に、結局直接の指導はごくわずかな時間となってしまうのです。

こんなとき、場合によっては師匠をめぐって奪い合いが起きることもあれば、最悪の場合師匠が抱き込まれて正確な判断をしなくなることさえあります。下記のページのような有様になる可能性があります。

成長とは、秘伝の巻物を手に入れることではない

秘伝の巻物

ですが、独占したその人が師匠のような水準に至るかというと、必ずしもそうなりません。そうはならない事が多いと思います。師匠と仲良くはなったけれども、まったくその人自身の成長はなかったのです。

これはいったいどういうことなのでしょう。

一つの理解としては、上述したような「個性化」との関連です。師匠をコピーしようとしたら、その人自身の個性が開花しないことにはならないでしょうか。仮に秘伝の巻物なるものが存在するとしても、そこには円が書かれているだけで、理解できないのです。それを手に入れたところで本人の成長はありません。

成長とは真似る時期も必要ではあっても、結局のところ自分自身の個性をいかに花開かせていけるかという点にあるのではないでしょうか。

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