ストレッサー(ストレス源、負荷のこと。つまり、騒音、蒸し暑い天気、 嫌な音、臭いなど)に曝された時、我々の心身には様々な変化が 起きるとされています。 それが、 ストレス反応と呼ばれるものです。
概ね生活上の一般用語としては、これらすべてを総称して「ストレス」という言葉を用いています。
ストレスとは一体どんなもの?ボールを使った例えも交えて説明
まず、マンモスと戦っている時の事を一度想像していただくと、そのときの心身の反応に想像がつきやすいかと思います。
もしマンモスと戦わなければいけない時代に生きていたら、ヘナヘナな状態ではたちまちに吹き飛ばされてしまう事でしょう。そのため、マンモスと戦う際には、心身をみなぎらせておくものです。目を見開き、手には力を込め、足も即座に動けるよう交戦体制です。しだいに汗が流れ、心拍数も上がっています。気持ちの上では興奮状態です。
実はこれらは、ストレスと関係する話なのです。
戦闘態勢
医学上は、交感神経優位の状態です。戦闘態勢なのです。これも生きる中では必要な態勢なのです。(逃げるのも一つですから、逃走態勢とも言えます)
しかし、マンモスと戦った数時間後の晩には、すっかり疲れている事でしょう。もうマンモスは近くにいませんし、食事も終えて、ゆっくりと家族で焚火にでもあたって星空でも眺めているわけです。
こんなときは、うとうとしてしまいそうです。こういうときは、医学上は副交感神経の方が優位になっています。
これはリラックスしていると言えます。
マンモスの例がわかりにくいときは、スポーツの試合と置き換えて想像してみるのも良いでしょう。
ラグビーやアメフトの試合中には心身をみなぎらせていることでしょう。
ラグビーの試合もマンモスとの戦闘も、これらはストレスの源でありストレッサーなのです。
そして、それにより生じている心身の反応をストレス反応と呼びます。
以下に順番に詳しい所を述べてゆきます。
ストレッサーとその種類について
まず、ストレスの源である、ストレッサー(ストレスを感じさせるイベントや刺激、負荷のこと)にはどのようなものが考えられるかを、知ることも役に立つと思います。 ストレスと人間関係とか、仕事関係ということが頭に浮かぶと思いますが、もう少し細分化したり、分類することもできるでしょう。また、それぞれの環境に特有のストレスも挙げられると思います。
ストレッサーの種類は非常に幅広く、人間関係や何かの行事などから、騒音や天候、匂いなどもストレッサーに含まれます。また、ストレスという言葉から我々は、嫌なものを想像すると思いますが、例えば長期休暇や昇進なども実はストレッサーに挙げられます。
各種の例とイメージ図
ストレッサーの種類に関しては、様々な分類が提示されています。ここでは、4つに大別してみました。
- 物理的ストレッサー:物理的環境刺激がもたらすもの
- 化学的ストレッサー:化学物質によるもの
- 生物的ストレッサー:生体の免疫反応を引き起こすもの
- 心理・社会的ストレッサー:仕事や人間関係など我々が社会生活で直面するもの
※参考サイト:日本医師会 健康の森
これらの分類を元に、ストレスまみれな職場を一枚の図に表しました。こんなに立て込むことがあるのかと思いながら作成しましたが、現実には各種ストレッサーが複合してくるものです。案外ありがちな光景です。
因みに、非常に観察しにくいストレッサーですが、我々の物事の考え方や捉え方によってもストレッサーは生じます。例えば、その月の給料が残り2万円になったとき、まだ2万円もあると考える人にはストレッサーは生じなくとも、あと2万円しかない、と捉える人にはストレッサーになり得るわけです。
物理的ストレッサー
例えば、人間と会わずに生活しているだけでも我々はストレッサーに曝されています。つまり、気温や音、湿度、天候などによるストレッサーです。
音
音が嫌に感じる経験は多くの人が持っているところです。
分かり易いところでは、工事などの騒音は堪えるものがあるでしょう。
大きな音になると、通常の会話すらままならなくなります。
予てより、新幹線沿いで騒音や振動の問題が起きているのです。
パソコンの連続使用
パソコンを使っての仕事が当たり前になってしましました。実は相当なストレッサーと化しています。
気温
さて、次に少し一般家庭で起きていることに関連して意識を向けてみたいと思います。我々は4つの季節の中で生活をしています。春・夏・秋・冬とそれぞれ特徴のある季節です。 つまり、普通に暮らしているだけでも、我々の周囲の環境は日々変化しています。日々という以前に、朝、昼、晩で気温も違えば、明るさも違うのです。
付随して、季節が変われば、服装も変化します。春服など着ると気分がうきうきしてくるということもあると思いますが、タンスから去年の服を探しだしたり、うっかりしわになってしまった服を見つけてしまったり、衣替えも簡単ではない部分があると思います。
化学的ストレッサー
臭いもストレッサーとして挙げられものです。そして、我々はそれを日ごろ体験していると思います。 例えば、うっかり冷蔵庫にしまったままの食品は、冷蔵庫に入れたとは言えどもいずれカビが生えたりして傷んでいきます。そして悪臭を発するものもあります。
冷蔵庫を開けた時に、「うっ」と嫌な臭いがすることに気づくでしょう。こうした出来事も一つのストレッサーと言えます。嫌な臭いを吸い込んだ際に、体もあちこち力が入ったかもしれません。また、一時的な臭いの他には、慢性的に漂う臭いもあります。 「私はコーヒーの臭いがダメで・・・」と言う人にとって、ドリップでいつもコーヒーを淹れているようなお宅に長くとどまることは苦痛になるわけです。
鼻は脳に近く、鼻から感知された嗅覚刺激は即効性があるのでしょうか。
電車の中で日本酒を飲みながらつまみを広げたら、隣の人に怒られた
これはフィクションですが、ありそうな話です。
電車内での酒盛りは、観光地へ向かう特急電車の中ではよくある光景です。(特に禁止する貼り紙などは見たことがありません)
しかし日常的に通勤で使う電車の中で酒とつまみはいかがな結果をとなるでしょう。
満員電車の中は、それだけでも大きなストレッサーを生んでいます。
そこに、食べ物の臭いが加わったらもうわけがわからないことになります。
一方では、ストレッサーのために「飲まなきゃやってられない」という方があることも無視できません。
生物的ストレッサー
免疫反応を引き起こすストレッサーの事を指します。
夜眠ろうとする際、埃舞う部屋だったらどうでしょう。
ハウスダストアレルギーなどと言うように、咳き込んで眠れなくなる方もあるでしょう。
その他、一人暮らしのアパートではカビがよく問題になります。
エアコンなどは、長く掃除していないと吹き出し口が黒くなっています。あれはカビなのです。
心理・社会的ストレッサー
我々が生活する中で直面するストレッサーで、最も話題になるのはここでしょう。。
人間関係
おそらく口には出しにくいとしても、内心多くの人が感じているストレスの代表格はこれでしょう。
大きなイベント
生活の中には、時に、何らかのイベントが生じます。それは、インフルエンザにかかるとか、結婚するとか、引っ越すなどの出来事です。これらは、喜ばしいイベントも含めてストレッサーになり得ます。
試験勉強
社会人になってまで試験勉強しなければいけません。仕事だけでもクタクタになっている所に、何時間も勉強できるでしょうか。
評価されない
一生懸命に粉骨砕身働いても、「それで当たり前!」などと言われてしまう事もあります。膝が砕けそうになります。
会議
ミーティングなどと名前も変えて開催されます。発言しないといけないのでしょうか?何か言うのも怖い気がします。
幾重にもなる複合型もある
多くの人が経験しているように、重なるということもあります。
「色々続きましたね・・・」などというセリフを聞いたことがあると思います。
別な言いかたならば、塵も積もればという言い方もよく使われるものです。
例えば、子育ては容易なことではないと多くの人は常識的に知っています。そして人は疲れながらでも子供を育て上げ命を繋いできたわけです。自然な営みと言えることです。
ここに現代社会では、女性の社会進出促進などという大きな命題が加えられています。
働くことは大変なことであることを誰しもが常識的に知っています。
働く事だけに専念できる状況ならば、まだなんとかなるという人も多いでしょう。
子育てと仕事を同時にバリバリととなると、その複雑さは単純に考えると倍以上の事になっていくのではないかと思います。
さらに介護が加わったらどうでしょう。もう個人の力ではカバーしきれない状況となっていないでしょうか。
兄弟が協力的であるとか、頼りになる親戚の叔母さんが近くに住んでいるなど、こういう人は協力を得られるかも知れません。
このように見ると、世のなかは現役世代に対してかなり無理難題を言っているように思えて来ます。しかも、それを当たり前のようにこなして当然であるかのような、むしろできないことを責められるかのような風潮を感じるのは私だけでしょうか。
もはや個人のことではなく、皆の問題として捉えなければ立ち行かない局面に立っているように思います。
現役世代だけではなく、高齢者がアルバイトに働きに出るとか、年金の支給時期が後ろにずれているとか、様々な年代に負荷がかかりはじめました。
社会は当たり前のようにあれもこれもうまくやれと言いますが、流行りの表現でいえばそれは「無理ゲ―」です。(※無理ゲ―とは、そもそもクリア不可能なゲーム)
こなす術というよりは、生き残る術を検討する方がまだ現実味があるのではないでしょうか。
完璧な夕食を毎日は作れないのなら、出前を頼むのです。お金で解決するようですが、致し方ありません。(物価高でそれも封じられている方もあるでしょう。)
このようにストレッサーを見渡してみると、回避できないと思える事柄も十分に含んでいます。生活のあらゆる局面に存在するストレッサーは、つまり人の生活につきものということになります。 いかにストレッサーと付き合うかということがテーマになりそうです。あまりに無防備になるのもどこか怖く、またすべてを回避することは不可能なのです。
これが人生のスパイスと言った人がいる
戦国時代のエピソードに、徳川家康が一番美味しい物は何か?と 家臣に問うたという話があったと記憶しています。
皆、思い思いの食べ物を挙げる中で、一人は「塩です」と述べたそうです。 突拍子もない答えですが、確かに、料理から塩が抜けてしまうと、 間の抜けたものになってしまいます。
また塩が多すぎてもしょっぱくて食べられませんし、長期的に体への影響も心配です。 塩加減とは難しいものです。
汎適応症候群を提唱した人物でもある、ハンス・セリエという人は、「ストレスは人生のスパイスである」と述べたそうです。 ストレスも全くない方が良いように思えますが、まさに料理における塩のような役割を人生においてはたしているのでしょうか。
お粥は、全く調味料をいれなくとも、食べる ことはできますが、段々と物足りなくなる こともあると思います。 そのような時、微妙な塩加減で、おかゆの 印象がぐっと変わると聞きます。 全く塩がないときと、わずかに塩を加えたときは 違うようなのです。
適度な緊張
リラックスということを考える中でも、力を抜ききってしまって、良いのだろうかという疑問を感じることがあります。 心理学的方法の中で各種リラクセーションに用いることも可能な方法がありますが、時に、適度緊張という概念が説明される場合もあります。 ストレスと緊張はまた別概念ですが、全くフリーな状態が心地よいとも限らないようです。
生きる意味を支えられている
話がだいぶ大きくなってしまったようですが、時に、ストレスによって生き方が示される という経験もあると思います。ストレスなどなければよいのですが、どうしてもやってくる ものという性質もあるわけです。
張り合いがあるという表現もあるくらいですから、ストレスは我々に何かをもたらしてくれ ているという面もあるのかもしれません。これは目的論的な発想です。 しかし、このような心境に無理やり到達させようなどと考える必要はないでしょう。
もし、意味を感じるにしても、それは後から結果としてというぐらいのニュアンスでは ないでしょうか。 圧倒的なストレスに直面した際、十分に悲しんだり、悔しい思いを体験するような時を 経てということになるでしょうか。
世間は一刻も早く前向きにということを勧めてくるかもしれませんが、意味をみつける くらいに大事なことが、悲しみや悔しさの中に含まれているのではないかとも思えます。
さて、時にはこれらが我々の心身に様々な反応を引き起こします。
生理学者らの整理したストレス反応
セリエ博士やキャノン博士のような生理学者は、現代からはるか以前に、どのような変化が生じるかとという点を研究していた歴史もあります。 さて、一般に、心理的な反応、行動的な反応、身体的な反応がストレッサーに よって生じてくるものであり、それは概ね下記のようになる。
心理的な反応
- 不安感や気分の落ち込み
- いらいら
- 怒り などが生じる。長期化すると無気力やうつ気分も出現。
イライラ日常場面と重ねて想像してみると、我々は、騒音をずっと聞いていると、 いらいらして外に向かって「うるさい!」などと大声を挙げるようなことがないだろうか。 これもストレス反応と言えるであろう。
行動的反応
- 集中力の低下
- 眠れない
- 喫煙の増加
- 性欲や意欲の減退 など
ストレッサーは、行動にも影響し、集中力の低下などを招くことになる。 試しに、単純な計算問題をストレッサーが「ある」、「なし」の条件別で 行ってみると、ストレッサーがある方では、ケアレスミスが増えるはずである。
身体的反応
- 心拍数の増加
- 体の緊張
- 発汗 など 長期化すると、頭痛、めまい、肩凝りなども出現
ストレスの身体反応はじめは、体に力が入る程度に感じていたものも、時間が長くなると、 頭痛までつながることがあるのではないだろうか。 ずっと嫌な臭いを我慢していたら次第に頭が痛くなりそうなものである。
別な体の不調との混同にも注意
以上が、ストレス反応の大まかな例のごく一部である。 我々の日常によくありがちなことが含まれている。 しかし、ストレス反応と別な身体的不調を勘違いしてしまうことは最も避けたいところであり、なんでもストレス 反応と決めつけるわけにはいかないものであろう。
ストレス反応の実感
ストレスマネジメント教育などにおいて、良く用いられる方法だが、ストレス反応に意識を向けるプログラムがある。例えば、リラクセーション実施前後で、脈拍を数えてみたり、単純な計算問題を行うなどである。 これにより、リラックス時と、緊張時での相違が視覚的に可能になる。ストレスはない、と感じていた人であっても、変化が生じることがあるので、普段の生活の中ではなかなか意識が向けられることは少ないようである。
ストレスをボールのへこみから理解する
さて、このストレス反応を説明する際ボールの例が用いられることがあります。
まず言葉を整理します。
- ストレス:元々、物理学用語。ここでは、「ストレス反応」と「ストレッサー」に分けられます。
- ストレス反応:ボールが変形した状態
- ストレッサー:ボールを押している原因なる存在
参考論文:心理社会的ストレス研究におけるストレス反応の測定 早稲田大学学術リポジトリより
平常時のボール
この青い玉を、人間(生体)と見立てます。
この状態が、最も充実してバランスの取れた状態と言えるでしょう。
この際、多少のストレッサーが加わっても、へこまないくらいかもしれません。
ストレッサーが加わったボール
ところが、赤い矢印のようなストレッサーがボールに負荷をかけると、ボールはへこんでしまいます。これがストレス反応なのです。
赤い矢印がなくなっても、しばらくボールはへこんだままです。
時間をかけて徐々に元の状態に戻ります。
日常生活でも緊張した後に、すぐにはドキドキが収まらないものです。しばらくして段々と平常に戻っていく経験をされていると思います。それがもとのボールに戻ったときのイメージです。
さらに慢性化すると専門的ケアが必要となるかもしれない
時間がたてば元に戻るのですが、このストレッサーが慢性化していたり、その強度が強いと、へこんだまま、なかなか元に戻らないことがあります。
赤い矢印も1本とは限りません。同時に複数の矢印が襲い掛かることもあるのです。
例えば、共働きで介護と子育てが同時に進行しているような状態では、日々相当な負荷を覚えるものです。そこにさらに、仕事のミスや残業、夫婦喧嘩などが上乗せされると考えたらやりきれません。
この辺りが、専門的ケアやなんらかの対処が必要な段階と捉える考え方があります。
まとめ
ストレス反応はストレッサーによって生じますが、そこは一定ではありません。ストレッサーの強度、コーピング、認知的評価、ソーシャルサポートなどによって、最終的に現れるストレス反応の程度が変化します。