人間は働き続けたり、勉強し続けたりする中で、時には疲れてくることがあります。
仕事は8時間労働と言いますが、残業など増えれば、一日に12時間位働いている人も少なくないのでしょう。
12時間労働と言えば、朝9時に出勤したら、夜九時まで働いているわけです。帰宅の時間や翌日の準備、食事、入浴等の時間を考えると、ほとんど自分の時間がないように思われます。
疲れを感じるからこそ休むことを考えられる
こうした生活が続く中には、時に疲れを催してきたとしても不思議ではありません。
疲れを感じるということは、ネガティブかというと、見方によっては、かなり自然なことでもあります。あれだけ働いたのだから、疲れが出ても当然という理解が成り立つでしょう。
これは、その人にとってのナラティブな視点と言えるでしょう。
疲れを感じるから、休養の必要性を感じたり、時間の短縮などを考えることにつながっている面も十分にあるわけです。また、疲れと不調が地続きのように認識されている時には、正体不明の不調という認識からは少なくとも抜けています。
これにより安心を伴うこともあるものです。
疲れを感じない時もある
もし疲れも感じないほど働いてしまった時には、かなり張りつめていたのかもしれません。
そして、周囲はそのことをもしかしたら、怒るかもしれません。働き過ぎて怒られるというのも納得のいかないような気持が残りそうですが、案外社会では働き過ぎて怒られている場面を見かけなくもありません。あれはどういう理屈なのでしょう。
どうしても休息は必要
決して悪いことをしたわけではないので、それほどショックや反省ということに結びつけずとも良いと思いますが、しかし、自身の疲れに意識を向けることはやはり意味のあることだと思います。
疲れた時に、休みを挟むきっかけを得られることで、結果的には、さらに仕事の幅が広がるのではないでしょうか。
まとめ
感情に喜怒哀楽があるように、我々には様々な身体感覚があります。
心地よく感じられるものから、ご存知の通り熱いとか痛いまで苦痛を感じるものまで様々です。
なるべく苦痛のない生活を送りたいものですが、「苦痛」をもし感じなかったならば、うっかりすれば血だるまになってしまう可能性があります。どこかにぶつかって怪我をしていても気が付かないという事になります。
「疲れ」もネガティブに取られがちですが、これもセルフケアをする上で重要な感覚です。
疲れを感じにくい時には、「時間」で区切るという手もあります。