現代社会に納得の行っていない方は数知れずいらっしゃることと思います。
例えばいつの間にか皆スマホを手にして歩く世の中になりました。
もう、ガラパゴス携帯を作ってはもらえないのでしょうか。
スマホをやめたいが手放せない
個人の意思でスマホ自体をやめることは、可能だと思っています。
しかし、この現代社会においてスマホを失うことは致命的な結果を招く可能性があり、そのためやめられないということもあるでしょう。
スマホ前提の社会設計が猛烈に進んでいます。
ごちゃごちゃ言っていると、スマホでやればいいじゃん!と怒られそうです。
スマホは生活必需品になっている
引用元:第1部 特集 デジタルで支える暮らしと経済 総務省MIC
上のグラフは、インターネット利用端末の種類です。スマホがパソコンを追い抜いています。
もはやスマホなしには、就職活動やアルバイトにも応募が困難な状況です。
手書きの履歴書に拘っていた人事の人達は、今どのように言っているのでしょうか。
まずINDEEDに登録せよなどという指示を受けることもあれば、エンゲージメントから問い合わせてくださいと指定があるのです。
電話問合せには応じない
いつの間にか、直接の電話問合せは第一手段として見なされなくなっています。
むしろ電話をするといぶかしがられることさえあります。WEBからお願いしますなどと冷たくされてしまうのです。
さらには、そもそも電話が通じません。30分コールを鳴らしても問い合わせ窓口は多忙との理由で担当者につながらないのです。
そして、スマホを使った問い合わせフォームへと案内されるのです。
ガラパゴス携帯では戦えない
ガラパゴス携帯でも、通信は可能ですがその速度が断然違います。
スマホは、「多機能パソコン」なのです。
固定電話では使えないサービスもある
現代社会においては、最終的に固定電話では用をなせないことがあります。
先方からは、あたかもお手軽さを演出するかのようにスマホで写真を撮って送るよう指示されたり、これはガラパゴスでも可能かもしれませんがSMS認証などという方法が流行っています。
カメラなんか使わない
そもそも、カメラなど持ち歩くことはありませんでしたし、あっても頻繁に取りません。
単なるスマホの付属品をどうして当然視するのでしょう。
カメラ機能が壊れている、ない人はサービスを受けられないわけです。
スマホをやめる対策
このような世の中になった以上、概ね諦めるしかない面がたくさんあるものです。
最後まで抗うのもかっこいいのですが、おそらく迷惑がられるのが落ちでしょう。
また最終的には、人手不足とか、省エネなどと、心にもない事を平然と言われ説教を受けることになります。
この社会においては、人と違うことをすると潰される傾向があるのは事実です。
また様々な事情でスマホを常用せざるを得ないことがあることを知っています。決してそのことまでやめようなどと言っているのではありません。情報技術の正の面があることを熟知しています。
スマホの扱い方を工夫する
結論としては、スマホの扱い方を工夫するところに答えを見出したいと思います。
全てを合わせる必要はないのです。必要最小限に留める方向を模索したいと思います。
ガラパゴスはなくなるがガラホがある
ガラパゴススタイルの携帯スタイルを維持できれば、ここまでスマホに没入することもなかったでしょうか。
一応、「ガラホ」などものがあります。これは機能はスマホで、デザインがガラパゴス携帯なのです。
LINEはまだ拒否できるか?いやかなり厳しい
まず、LINEはどうでしょう。日本国民の間では相当のシェア率だと聞きます。LINEユーザーに非ずんば人に非ずなどとのたまっている人もいるのでしょう。決して許すことはできません。
拒否してもなんとかなるかもしれませんが、ほぼ無理な状況に追い込まれています。
一筋の光明にすがるなら、流行りと廃れです。FACEBOOKなどは、2015年頃から知人らの間で、「もうパスワードも忘れたわ」などと言う人が増えました。勝手に載せられた写真は、パスワードを忘れられたことで削除することもできなくなってしまったのですが、その点は皆しらばっくれているだけです。どう責任を取るのでしょう。
LINEについては、メールのように活用するのはどうでしょう。通知が来ますが、それを確認する時間を決めて使うのです。早くしろなどと言う人もあるでしょうが、そんなに急ぎなら電話してくれば良いと思います。
スマホはカバンにしまう
電車に乗った途端スマホを操作します。いや、もっと以前から、そう電車待ちの際にスマホを見てそのまま電車に乗り込むのです。危険で仕方ありません。
業務利用という事なら、勤務時間中はやむを得ずとも、それ以外の時間はカバンに閉まってさほど問題ないのではないかとおもうところです。
急用なら自宅の留守番電話にメッセージを入れるか何か手段があるでしょう。
おそらく子供との通信手段としている場合が難しいところなのだと思います。
自宅では黒電話のように扱う
自宅に着いたらスマホは直ぐに所定の場所に収めます。
なるべく、玄関とか、部屋の端の方などとしていちいち使用が面倒にしておくのがポイントになります。
手を伸ばせばすぐ使える距離ではお手軽すぎるのです。
教育上もそのようにしておけば、子供たちはそれを基本とした使用になるのではないでしょうか。
試しに追い込んでみる
ある素敵な作曲した方の話では、「あの曲を作る際には相当に自分を追い込んだ」ということでした。
つまり、極限まで物を減らし、曲作りに専念したというのです。
あるから使ってしまう、という発想に基づけば、なければないで別なものに意識が向くのではないでしょうか。
もし社会人一人暮らしで、部屋に1冊の本しかない生活だったら、その本を何度も読むと思います。
ですが、スマホを手に入れると、その本はもう決して読まれることはありません。
思い出は心に刻み、体験は友人や家族に三度話す
カメラ機能を使うことにより、全てを記録できるようになりました。
確かにどうしても写真に収めたい風景もあります。それはそれとしても、心に刻むのではだめなのでしょうか。
写真はそのまま変わりませんが、思い出に刻んだその風景は、次第に美しさを増していくことさえあります。そんなロマンを取り戻すのはどうでしょう。
そして、誰かに見せたい風景だったなら、ありったけのたくさんの思いを添えて、伝えてみてはどうなのでしょう。
まとめ
現代社会に抗うことは本当に大変な事です。
しかし、抗わなければならないこともあると思っています。
そうでなければいつの間にか、スマホにより、何かを既に奪われ、失っている可能性があるのです。