ストレスは我々の生活にどうやっても存在するものです。
そのため日常会話にも冗談のようにストレスという言葉は登場します。
ですが、塵も積もればというように、それが幾重にも重なってきたらどうでしょうか。
あいついで重なるストレス!現代社会は2つどころではない、複雑かつ幾重にも覆われている
暗くなる見出しをつけてしまいましたが、これは現代社会のストレス状況として過言ではないと思います。
例えば、子育ては容易なことではないと多くの人は常識的に知っています。そして人は疲れながらでも子供を育て上げ命を繋いできたわけです。自然な営みと言えることです。
ここに現代社会では、女性の社会進出促進などという大きな命題が加えられています。
働くことは大変なことであることを誰しもが常識的に知っています。
働く事だけに専念できる状況ならば、まだなんとかなるという人も多いでしょう。
子育てと仕事を同時にバリバリととなると、その複雑さは単純に考えると倍以上の事になっていくのではないかと思います。
さらに介護が加わったらどうでしょう。もう個人の力ではカバーしきれない状況となっていないでしょうか。
兄弟が協力的であるとか、頼りになる親戚の叔母さんが近くに住んでいるなど、こういう人は協力を得られるかも知れません。
現代社会は当たり前のように無理難題を言い放っている
このように見ると、世のなかは現役世代に対してかなり無理難題を言っているように思えて来ます。しかも、それを当たり前のようにこなして当然であるかのような、むしろできないことを責められるかのような風潮を感じるのは私だけでしょうか。
もはや個人のことではなく、皆の問題として捉えなければ立ち行かない局面に立っているように思います。
現役世代だけではなく、高齢者がアルバイトに働きに出るとか、年金の支給時期が後ろにずれているとか、様々な年代に負荷がかかりはじめました。
全部を完璧にこなすのは不可能
※完璧に家事をこなしたその姿は千手観音菩薩のようです。
社会は当たり前のようにあれもこれもうまくやれと言いますが、流行りの表現でいえばそれは「無理ゲ―」です。(※無理ゲ―とは、そもそもクリア不可能なゲーム)
こなす術というよりは、生き残る術を検討する方がまだ現実味があるのではないでしょうか。
完璧な夕食を毎日は作れないのなら、出前を頼むのです。お金で解決するようですが、致し方ありません。(物価高でそれも封じられている方もあるでしょう。)
無理を強いられる日は必ずあるにしても、常態化を回避する
睡眠時間を削られている方もあるかもしれません。7~8時間はぐっすりと眠りたいところですが、毎日5~6時間になると、堪える人が多くなります。
これが、たまにであればまだ凌げるでしょう。しかし、毎日となると徐々に疲弊していくのではないでしょうか。少なくとも、たまにはじっくり眠る日を作りたいものです。或いは昼寝のように中休みがあるだけでも少しはましでしょう。
家族の誰かに負担が一極集中していないか確認する
介護・子育て・仕事・家事・災害・物価高など、幾つのもストレスが身近に存在する現代社会です。全てを独りで負担している方もあるでしょうか。使えそうな資源があるならすべて活用していただきたいところです。
家族の場合には、誰かに一極集中している場合があります。昨今「パートナー」という言い方が聞かれるようになりました。まさに、このストレス状況下においては現代社会を乗り切るパートナーとして捉えることになります。パートナーも自分も生き残る道を模索したいのです。
職場であれば、「休憩回し」という技があります。休憩をひたすら回し続けて困難を乗り切る方法です。全員で我慢比べをするのではなく、20分でも休憩を入れた方が能率的にも向上するのです。
まとめ
ストレスは、待ってくれるとは限りません。災害は特に深夜の3時にでも起こり得ます。
なるべく、余裕を蓄えておきたいものです。
もちろん、備えばかりに走ると人生の楽しみを失う面もあり難しいのですが、時流を捉えて「温存の時」を見逃さないことも重要なのでしょう。