仕事を辞める決心をし、店長や上司にそれを伝えた後、なぜか速やかに辞められず退職を引き延ばされるという経験を持つ方もいらっしゃるのではないでしょうか。
これも仕事関係の悩みの一つと言えます。
退職を引き延ばされてしまう
辞める意思表示をすることは、多くの場合大変な労力を伴います。
勇気のいることと言って過言ではありません。
意思表示を受けた側も、是非その思いを組み取って欲しいと、辞める側は考えるものでもあります。
しかしながら実際には、1月くらいで辞めようとしたところを半年先や、そもそもなかったことにされ数年先まで勤務するなどということもあるのかもしれません。
辞められない仕事
日本国憲法には職業選択の自由が記されているように、仕事を辞める自由や権利があります。
それでも辞められない状況とはどういうものなのでしょう。
同僚を人質のようにされる
こんなことがあっていいはずはありませんが、「君が辞めるとあの人の負担が大きくなるんだよ。直ぐに新人なんか来ないし、来ても半年は研修生みたいなもんだし。同僚を苦しめる事していいのかね?あと半年はいて欲しいね」などと同僚を人質のように扱われたらどうでしょう。
もしかしたら辞める決心もぐらつかされてしまうかもしれません。
報復される恐怖
こんなことがあっていいはずはありませんが、辞めることで掌を返したように乱暴な扱いに変わるなどということも恐ろしいことです。
この場合、今まで子育てのことに親切だった店長がその時以降融通がきかなくなったり、わざと子供を迎えに行く時間に間に合わないような仕事を押し付けてきたりするわけです。
引き留めを断る心の構えとは
書いていて恐ろしくなる思いですが、だとすればその職場は尚更早くやめたいものですし、土壇場で卑劣な手を使ってくるのですからそもそもの辞める決心は間違っていなかったことを指しているのではないでしょうか。
自分自身にブレが生じた時に、そこに付け込もうとしているのかもしれませんから、自分の意志を再確認し自分の決定に自信を取り戻すことが退職への近道になってくるでしょうか。
心理的な観点からの検討をしてみたいと思います。
時差を埋めるため熟考している様を示す
1年前から辞める決心をしていた場合、それを告げる日は大きな意味を持ちます。なにしろ1年がかりの懸案事項だったわけですから、古い戦を例にすれば、大坂夏の陣が残っているとしても、はじめて退職の意思を示すその日は当人にとっては関ケ原の合戦なのです。
ですが、上司側はその時がはじめて退職の意思を知るわけであり、混乱・動揺を示す可能性があります。(逆に拍子抜けするようにあっさりしている人もいますが)ここで、引き止めが起こるわけです。
その際、
などとなります。
退職マニュアルのような本を熟読するとやはりそのようなことがもはや慣習的にあると書かれています。これは上司の顔を立てるという意味があるそうです。
月曜日
あくまで引き延ばしは会社の希望・要望・提案であると捉える
「3月末ではなく、6月末にして欲しい」と、退職日を引き延ばされた際、これはあくまで会社側の気持ちという風に解釈すれば、第一希望が6月末という意味になります。
であれば、「再三の検討を重ねた結果4月20日迄であればなんとか・・・しかし、有給はしっかり取ります。」などという交渉になるわけです。第三希望にしか添うことが出来ないことは世の中には多々あるものです。
これは折衷案と呼べるでしょう。個人の希望だけでなく、会社側の希望も尊重した挙句の決定ですので、会社側はその行為を無下にできないのではないでしょうか。
会社を辞めること自体が半人前であるという風潮がある
これも日本社会に渦巻く根強い考え方です。かつては終身雇用制ばかりだったわけですから、途中でやめるのは良く思われない傾向が残っています。
しかし実際的には、3年以内に30%の新人はやめるとのデータがあります。(関連ページ:若者向け就労支援情報資料集 )
また、転職の概念をは文化によって違います。「転がる石」を良く見るか悪く見るかでまるで別な意味合いになります。(関連ページ:日本において転職は悪いこととみなされがちだが、実は多くの人が経験する )
又、人生の転機である可能性もあります。
あとの人が辞めやすくなる
本当に一刻も早くやめた方が良い職場もあるのだと思います。少しずつエネルギーを奪われているのではないかと思うところです。
自分が「一抜けた!」とやめることで、他にやめたがっていた人が実際に辞める時の支えになるのではないでしょうか。
こんな話ばかり聞かされては、やめにくくなりますが、あっさりやめた先輩がいれば見方が変わります。
まとめ
退職の引き延ばしにまつわる法律的なところはわかりませんので、知識や専門家への相談も心の支えになるでしょう。ここではあくまで心理的な観点からの検討をしてみました。