炎天下の地獄のような暑さの中でも、祭りで神輿を担ぐ人がいます。
とても最後まで体力が持ちそうにありませんが、休憩を上手く活用しているからやり切れるのではないかと見ています。
これは勉強や仕事の休憩にも応用できることがありそうな話です。
休憩を上手く使うとは
神輿を担いだ経験のある方はどのくらいいるでしょう。
神輿と言っても、重量も違えば担ぎ手の人数、性別、体格によっても一人にかかる負担は異なります。
とにかく、その重い神輿を担いで2㎞ほども練り歩くとしたらどうでしょうか。
神輿の担ぎ手は5分に一回休憩していた
ある祭りでは、やはり神輿を担ぎます。
しかし、必ず区間ごとに休憩時間が設けられており、麦茶なりスイカなりが振る舞われるのです。
ギリギリの極限状態まで我慢してようやく休憩というよりは、「もう休憩?」と拍子抜けするくらいのことがあります。
その調子で、次の区間でも、その次の区間でも休憩するのです。
気が付くと、炎天下を長い距離進んでいたことに気づかされるのです。
そして確かに疲れています。
あくまで一例だが興味深い
これは、あくまで休憩の一例でしかありませんが、非常に興味深い内容です。
長い距離を担ぎきる自信がなかった人でも、担ぎきれてしまったと不思議に思う事でしょう。
早すぎるくらいの、しつこ過ぎるくらいの休憩がこの場合は功を奏したわけです。皆で倒れず担ぎきれたのです。
もちろん、休憩などいらないと感じた人もいたのでしょう。
ですが、そのような人でも休憩を取っていなかったらどうなっていたかはわかりません。
長い歴史の中で、この位の休憩が妥当だと判断されてきたのではないでしょうか。
思うのは、ハードルが高く圧倒されそうな課題を直面した時でも、コツコツ進めて行けば時間はかかってもやり切れるというモデルになるということです。
やはり休むことは大事な意味がある
休んでばかりで進展していないと消極的に言うのは、考え直さなければならないかもしれません。
家を建てる大工さんが、小まめに休憩を取っている姿を見たことがありますが同じ理屈だったのだと思います。
あれは、周囲の人からすると「もっと急げないのかな・・・」などと思ってしまうものですが、大きな家を人の力で建てるには休憩が必須なのでしょう。
法的には問題ない職場の休憩時間の長さ・・・
また、「うちの職員は休憩ばっかりしてて仕事が進まない!」などというぼやきも良く聞きます。
もしかすると、それはさぼりではなく、最後まで完遂するために必要なことなのかもしれません。
ここで、一つ思うのは法律で決められている休憩時間は本当に当てにしていい基準なのかということです。
だいたいの企業では、8時間勤務の内お昼休みに1時間ほどの休憩があるだけ、という場合が多いでしょう。
これは、20代の社員でも60代でも、持病を抱えている場合でも同じです。
法律というのは、大体にしてこういう性質が際立つことがあります。
6時間以上8時間以下の場合には、少なくとも45分の休憩が義務付けられていますが、5時間勤務の場合は休憩は法律上なくても問題ないとされてしまいます。果たして、5時間休憩なしでいられるものでしょうか。
雇用する側の視点に立つと、賃金を支払っている分を少しも無駄にしたくないという思いが生れると思います。
職場の雰囲気により小休止はまちまち
「適宜小休止を挟むように」とか、「一息入れましょう」などと誰かが声をかける職場もあるものです。この場合の采配は難しそうな感じがします。人手不足、尚且つ赤字状態であったら小休止を良く思わない管理者もいるかもしれません。
中には、自主的に小休止を作り出す社員もいることでしょう。営業マンは、出先で取りあえず喫茶店に入って策を練るという時代があったと聞いたことがあります、現在は携帯電話があり、場合によってはGPSのモニターされてしまうのでしょうか。デジタル化が進むと隙間時間や微妙な緩みが分単位で管理されてしまうのですから大変です。
神輿を担ぐ際の休憩は数分刻みに管理された休憩でしたが、もう一つ合わせて持ちたいのは、自分自身で「疲れを感じた時」のタイミングです。このセルフモニターとも言える感覚が非常に大事な事です。
疲れを感じるからこそ、休むタイミングのことを考えられる
人間は働き続けたり、勉強し続けたりする中で、時には疲れてくることがあります。
仕事は8時間労働と言いますが、残業など増えれば、一日に12時間位働いている人も少なくないのでしょう。
12時間労働と言えば、朝9時に出勤したら、夜九時まで働いているわけです。帰宅の時間や翌日の準備、食事、入浴等の時間を考えると、ほとんど自分の時間がないように思われます。こうした生活が続く中には、時に疲れを催してきたとしても不思議ではありません。
疲れを感じるということは、ネガティブかというと、見方によっては、かなり自然なことでもあります。あれだけ働いたのだから、疲れが出ても当然という理解が成り立つでしょう。
これは、その人にとってのナラティブな視点と言えるでしょう。
疲れを感じるから、休養の必要性を感じたり、時間の短縮などを考えることにつながっている面も十分にあるわけです。また、疲れと不調が地続きのように認識されている時には、正体不明の不調という認識からは少なくとも抜けています。
これにより安心を伴うこともあるものです。
とある経験談
昨今流行りのリラクセーションのお店に赴くことで、疲れを癒そうとしている人も少なくはないと思います。
都内では、駅の中にオープンしているお店がありますが、混んでいて当日予約が難しいこともありますから、かなり需要があるのだと思います。駅近辺にもたくさんのリラクゼーションサロンがあります。
これまでにも、疲れに関するテーマは扱ってきましたが、どのくらいの疲れ具合の際にリラクゼーションに行ったらよりちょうどよいケアになるのでしょう。
私も行くことがありますが、その体験談として書きます。あくまで個人的経験ですので参考程度にお考えください。マッサージやリラクゼーションサロンを勧めているという事ではありません。
駅ナカリラクセーションサロンは混んでいた
駅ナカによくリラクセーションサロンが入っている光景を目にすると思います。
肩が凝ったなぁ・・・と飛び込みでお願いしようとすると、なんとその日は一杯だったのです。
コロナ以降の世の中では、この状況がどうなったのはそれはわかりません。
しかし、余計に肩が凝りそうな世の中になったようでもあり、需要は増しているかもしれません。
それにしても当時はびっくりしたものです。それほどに疲れている人が多い事を物語っているのではないでしょうか。
女性のお客さんが多い
男性の利用者もいなくはありませんが、駅ナカの場合は圧倒的に女性が多かったように思います。
これは、女性特有の何かがあると考えた方が自然のように思います。
お店の作りも、女性を意識して作られているように見えるのですが、そんなことはないのでしょうか。
人によっては、飲んで帰ろうとか、歌って気晴らしよう、などと考えそうですが、この場合は「体のケア」をしたいという動機が垣間見えます。それも繊細なケアという意識を感じるところです。体とはいっても、肉体労働による疲労ではありません。
現代人はリラクゼーションを求めている
現代型の疲れは、肉体労働によるものもあれば、オフィスワークやとにかく地味に交感神経を使い続ける仕事があります。
例えば、電話を取り続けるのはどうでしょう。かしこまった口調でゆっくりと、何度も何度も電話を受けます。難しい内容であれば、その度に何かを調べるとか、折り返しのために電話番号を聞きます。それらを上司に申し送ったり、とそれを何時間も続けるのです。
これは大きな動きを伴うわけでもないのに、神経だけはフル活用しなくてはならず、非常にストレスフルな仕事と言えます。
正確には、「ストレスケア」をしたいという動機があるのではなかろうかと思うところです。
こうした緊張連続から頭痛を覚える方もいるでしょう。
- 関連サイト:現代人を悩ます緊張型頭痛
予約をするか、穴場を探す
リラクセーションサロンに寄ってから帰宅しようと思っていたのに、予約いっぱいではがくっと来てしまいます。
当てが外れた時のダメージはひとしきり大きく感じるのはどういうことでしょう。
概ね、疲れの周期などが推測可能ならば、やはり数日前から予約しておくと安心でしょう。
そのタイミングというのは個人個人異なるはずですので、自分の周期を見つけられたら、よりよいセルフケアに繋がるように思います。
軽い疲れを感じた時の体験
その日は、肩こりが多少感じられ、やや疲れが溜まっていることを自覚していました。そこで、15分程度の短時間でお願いしようと予約したのでした。
15分では、物足りないだろうなあ・・・と思っていましたが、予算も大事なことです。
結果は、かなり弛んだ感触が強く得られました。むしろこんなに疲れていたのか・・・とびっくりしました。
15分でもずいぶん変わるものです。
ヘトヘトになった時の体験談
一方、まさに背中が一枚岩のようになったところで、45分コースを予約しました。
前回よりも疲れが強い事はよく自覚していましたが、その分時間を長くすれば大丈夫だろうと考えた結果です。
ところが、45分しっかりほぐしていただいたにも拘わらず、あまり変わり映えはありませんでした。
予算的にも倍です。
さらに一つ気づいたのは、肩が凝っていたかと思ったので肩を集中的にお願いしたのですが、どうやらそう単純なものではありませんでした。意識に上っている不快な部位も重要なのでしょうが、果たしてどこが凝っているのかわからなくなってしまっていたのです。
やはり早めに手を打つのが良さそう
この二つの体験からは、短時間でも早めに手を打つ方が良さそうに思えます。
前者では、まだ肩とか肩甲骨の境界線が意識出来ましたので、リラクゼーション後のセルフケアもやりやすかったように記憶しています。
もう一つ特筆しておきたいのは、「無理してもあそこでほぐしてもらえば大丈夫!」などというおごりたかぶった結果という風にも解釈できます。これは現代人にありがちな発想かも知れません。
栄養剤を飲めばまだやれる!という勘違いにも近い話です。
また、「明日はたっぷり眠れるから、今日は夜更かししても大丈夫!」これも、最近はなるべく避けるようにしようと思っています。
定例化する
さてその他の視点について補足します。
我々は毎日、概ね3回の食事をとります。
これはお腹が空いたから食べるということとは異なり、お昼の時間になったから食べている節があります。
この発想は、マッサージやリラクゼーションサロンに行くタイミングに応用できるかもしれません。
つまり、月1回とか、毎週金曜日の夜などという具合に決める方法です。
予約しておけば、混んでいてへ入れないこともありません。
もしも、お昼から夕食の間に小腹が空いた時、おやつを食べるかのように、月1回で間に合わなければ、途中で短時間でもマッサージに行けば良いというわけです。
こちらの方が現代人的な感じはします。
マッサージを例にしましたが、これはセルフケア全般に言えることです。
あまり感覚ばかりを頼りにするのも難しい事があるので、月1回あそこに行くことにするなどとした方がわかりやすいかもしれません。
当オフィスでも、セルフケアの勉強会を実施しています。
- 関連サイト:ストレス緩和のセルフケア勉強会
疲れを感じない時もある
もし疲れも感じないほど働いてしまった時には、かなり張りつめていたのかもしれません。
そして、周囲はそのことをもしかしたら、怒るかもしれません。働き過ぎて怒られるというのも納得のいかないような気持が残りそうですが、案外社会では働き過ぎて怒られている場面を見かけなくもありません。あれはどういう理屈なのでしょう。
どうしても休息は必要
決して悪いことをしたわけではないので、それほどショックや反省ということに結びつけずとも良いと思いますが、しかし、自身の疲れに意識を向けることはやはり意味のあることだと思います。
疲れた時に、休みを挟むきっかけを得られることで、結果的には、さらに仕事の幅が広がるのではないでしょうか。
感情に喜怒哀楽があるように、我々には様々な身体感覚があります。
心地よく感じられるものから、ご存知の通り熱いとか痛いまで苦痛を感じるものまで様々です。
なるべく苦痛のない生活を送りたいものですが、「苦痛」をもし感じなかったならば、うっかりすれば血だるまになってしまう可能性があります。どこかにぶつかって怪我をしていても気が付かないという事になります。
「疲れ」もネガティブに取られがちですが、これもセルフケアをする上で重要な感覚です。
疲れを感じにくい時には、「時間」で区切るという手もあります。
休むとはどういうことなのかよくわからない
また、休憩があったとしてもどう過ごしていいか迷う方もあるかと思います。
ゆっくりするとは、どんな状態なのでしょう。
休憩なんて必要なくっても大丈夫!と過信した際に、しっぺ返しを食らった経験を持つ方もあると思います。これはコロナ以前に体験した事です。
まとめ
休憩にも色々ありますが、リラクゼーションもその一つの方法に挙げられます。
リラクゼーションサロンに予約を入れるタイミングを工夫することが、もしかしたら長く働くコツとできるかもしれません。もちろん、セルフリラクゼーションを活用するのも手です。その組み合わせも良いでしょう。