肩が凝っていることを比喩的に、漬物石が乗っているようだなどと言われることがあります。
その他に、背中が一枚岩のようになっている、という表現もよく聞きます。
我々の背中は、通常、肩甲骨や肩、首辺りに意識を別々に向けたり、多少動かすことができます。
しかし、一枚岩のようだという場合、それらの境界線がはっきりしなくなったり、肩甲骨が埋もれてしまっているような感覚なのでしょう。つまり、その周囲には慢性的な緊張の存在が推測されます。
背中が一枚岩になったら、もうどこが凝っているのか難しい
肩にしても凝ってくると、肩たたき程度の力では、あまりピンとこないようになっていきます。中には、「もっと強くたたいてくれ」と言いすぎて、あとから痛みが出てしまうほどに、感覚がよくわからなくなってしまうことがあるようです。
一枚岩の状態とは、まさにこの様子に近く、肩甲骨周囲も、肩も首も、みんな緊張しているような状態なのではないでしょうか。
因みに一枚岩とは、下記サイトのような岩です。
このような折に、じっくりとリラックスし、背中の緊張が和らいでくると、自分の背中がいかに緊張していたかが理解されると思います。
しかし、そこに至るまでには、それほど自分の背中が緊張しているとはなかなか意識されないもののようであります。
消えたと思った肩こりは、放置され、他の凝りと結合し一枚岩になっただけかもしれない
肩の凝りに気づいたとき、今度、マッサージにでも行こう、などと考えていると、案外時間ばかりが過ぎて、肩のこと等忘れてしまうことがあると思います。
忙しく生活していると、どうしても肩の凝りのこと等、あとまわしになってしまうのです。
ですが、肩の凝りが、自然となくなったりしたものか、それはわかりません。
お風呂や、軽い運動、睡眠などで自然と和らいでいくものだと思いますが、忙しい毎日の中では、充分に睡眠や運動の時間が確保されているかどうかもわからないものです。
もしかしたら、わからなくなっているだけで肩の凝りは、ずっとあるのかもしれません。むしろ、肩甲骨や首も凝ってきて、もうどこが凝っているのかわからない状態なのかもしれないわけです。
変化した凝りの感覚
よくマッサージなどで、ここが凝ってますね、などと言われてもピンとこないことがないでしょうか。
マッサージをしてくださっている方からすると、非常に凝っていると感じられるのに、自分の方ではよくわからなかったり、もっと別な場所の方が凝っていると感じる場合です。
中には、マッサージして下さっている方の、セールストークなのではないかと疑う人さえいることでしょう。
この場合、当初の凝りの感覚から、別な感じへと変化しているとは考えられないでしょうか。
肩の凝りも、ずっと進んだり、広がったりすると、肩が凝っているのに、肩甲骨の辺りが気になったり、肩とは別な所が気になったりするもののようです。
凝っている感じはないけれども、実は凝っているということもあるようなのです。
せめて、凝りをほぐす時間はなくとも、凝りの感覚がどうなっているのか知っておけたらと思いますが、忙しい際には、その微妙な感覚をつかむことは尚更に難しいという1面もあるのではないでしょうか。
痣ができるほど強く押してもわからない
もう一つトピックとして挙げておくと、肩の凝りがわからなくなっているような時に、マッサージで押してもらっても、満足感がないためか、もっと強く押してみて下さいと言ってしまうことがあります。
マッサージの方も、いつも押し加減を気にしているようですが、強めにやってもらっても全くピンと来ないことがあるものです。
その場合、どんどん押す強さが増してしまうと、内出血を起こすためか、痣ができてしまいます。つまりは、それほどまで強く押してもわからないほど凝っているという状況なのではないでしょうか?
このような場合は、常識程度以上には強く押してもらわず、色々な部位をまんべんなくほぐしていく方が安全ではないでしょうか。
肩こりの段階でほぐせたら良いのかもしれない
こう考えると、あまり後に回し過ぎると複雑化するようです。まだ大丈夫と感じていたときにほぐした方が経済的でもあると言えないでしょうか。