背中が一枚岩。もうどこが凝っているかわからない

ばきばき

肩が凝っていることを比喩的に、漬物石が乗っているようだなどと言われることがあります。

その他に、背中が一枚岩のようになっている、という表現もよく聞きます。

我々の背中は、通常、肩甲骨や肩、首辺りに意識を別々に向けたり、多少動かすことができます。

しかし、一枚岩のようだという場合、それらの境界線がはっきりしなくなったり、肩甲骨が埋もれてしまっているような感覚なのでしょう。つまり、その周囲には慢性的な緊張の存在が推測されます。

この背景にストレスが存在することもあります。

背中が一枚岩になったら、もうどこが凝っているのか難しい

肩にしても凝ってくると、肩たたき程度の力では、あまりピンとこないようになっていきます。中には、「もっと強くたたいてくれ」と言いすぎて、あとから痛みが出てしまうほどに、感覚がよくわからなくなってしまうことがあるようです。

一枚岩の状態とは、まさにこの様子に近く、肩甲骨周囲も、肩も首も、みんな緊張しているような状態なのではないでしょうか。

因みに一枚岩とは、下記サイトのような岩です。

参考サイト:PIXTA

一枚岩の写真素材

 

このような折に、じっくりとリラックスし、背中の緊張が和らいでくると、自分の背中がいかに緊張していたかが理解されると思います。

しかし、そこに至るまでには、それほど自分の背中が緊張しているとはなかなか意識されないもののようであります。

消えたと思った肩こりは、放置され、他の凝りと結合し一枚岩になっただけかもしれない

肩の凝りに気づいたとき、今度、マッサージにでも行こう、などと考えていると、案外時間ばかりが過ぎて、肩のことなど忘れてしまうことがあると思います。

忙しく生活していると、どうしても肩の凝りのことなど、あとまわしになってしまうのです。

ですが、自然となくなったりしたものか、それはわかりません。

お風呂や、軽い運動、睡眠などで自然と和らいでいくものだと思いますが、忙しい毎日の中では、充分に睡眠や運動の時間が確保されているかどうかもわからないものです。

もしかしたら、わからなくなっているだけで肩の凝りは、ずっとあるのかもしれません。むしろ、肩甲骨や首も凝ってきて、もうどこが凝っているのかわからない状態なのかもしれないわけです。

とりわけ試合中には怪我に気づかないように、忙しくせかせかと働き続けているような時には肩こりは忘れ去られてしまうのではないでしょうか。

変化した凝りの感覚

よくマッサージなどで、ここが凝ってますね、などと言われてもピンとこないことがないでしょうか。

マッサージをしてくださっている方からすると、非常に凝っていると感じられるのに、自分の方ではよくわからなかったり、もっと別な場所の方が凝っていると感じる場合です。

中には、マッサージして下さっている方の、セールストークなのではないかと疑う人さえいることでしょう。

この場合、当初の凝りの感覚から、別な感じへと変化しているとは考えられないでしょうか。

肩の凝りも、ずっと進んだり、広がったりすると、肩が凝っているのに、肩甲骨の辺りが気になったり、肩とは別な所が気になったりするもののようです。

凝っている感じはないけれども、実は凝っているということもあるようなのです。

せめて、凝りをほぐす時間はなくとも、凝りの感覚がどうなっているのか知っておけたらと思いますが、忙しい際には、その微妙な感覚をつかむことは尚更に難しいという1面もあるのではないでしょうか。

痣ができるほど強く押してもわからない

もう一つトピックとして挙げておくと、肩の凝りがわからなくなっているような時に、マッサージで押してもらっても、満足感がないためか、もっと強く押してみて下さいと言ってしまうことがあります。

マッサージの方も、いつも押し加減を気にしているようですが、強めにやってもらっても全くピンと来ないことがあるものです。

その場合、どんどん押す強さが増してしまうと、内出血を起こすためか、痣ができてしまいます。つまりは、それほどまで強く押してもわからないほど凝っているという状況なのではないでしょうか?

このような場合は、常識程度以上には強く押してもらわず、色々な部位をまんべんなくほぐしていく方が安全ではないでしょうか。

肩こりの段階でストレスをケアできたら良いのかもしれない

こう考えると、あまり後に回し過ぎると複雑化するようです。まだ大丈夫と感じていたときにほぐした方が経済的でもあると言えないでしょうか。

リラクゼーション法などのセルフケアを学び実践していくと、それなりに成果を実感できることがあります。

ここで、もう一つ問題となる事は、いつの間にかケアが後回しになっていくことです。

趣味でも勉強でも、近い経験を持つ方は多いと思います。

ケアのモチベーション維持には仲間がいたら良いこともある

セルフケアなのに、「仲間」というのは矛盾するでしょうか。

それはそれとして、ある程度モチベーションを維持するのに仲間がいた方がやり易いという方は多いのではないでしょうか。

もちろん、とにかく独りでという方が合っている方もいます。

NHKのラジオ体操を独りで続けることが出来るかどうか

ラジオ体操

ラジオ体操が丁度良いと思ってはじめた人は、そのモチベーションを維持できるでしょうか。

同じ時間にラジオをつけるなどの工夫は良いと思います。

集団の場に出て行く習慣が出来れば、続けやすい人もいるでしょう。

独りでもできる事なのに皆、敢えて集団で行っているように見えます。

それにしても、平然と行われてきたような催しであっても、そこには誰かの準備が必ずあるものです。そうした苦労に頭が下がる思いです。

定例会を活用する

寄り合い

もし、定例会のようなものが存在したらどうでしょう。

毎月第3木曜日の夜に参集するなどのやり方です。

これを一つの立派な予定として確保することで、セルフケアの時間を持続的に持つことが出来ます。

会費を500円などとするのも手です。

昨今は、ZOOMを活用した定例会もあるかと思います。

また、何かのワーク(例えばラジオ体操)をメインに据えなくとも、お茶会の一部にラジオ体操を組み込むという方法もあります。

これらの例は、一種のソーシャルサポートにもなっているのではないかと思います。

義務はやはり窮屈になる

ですが、義務としてしまうと、これはケアとかけ離れて行く可能性が強まっていきます。

このバランスは非常に難しい所です。

また、セルフケアに参集したい人でも、月1回が良いという人もいれば、2週に1回が良いと感じる人もいます。

月1の人が2回の方に引っ張られてしまうと、負担を覚えることになります。

この場合は、定例会を2つもつなどの工夫が必要になります。

また、定例会をもし開催するならグループ運営について勉強しておくことで安全な会とすることができるでしょう。そこには幾つかの工夫があるものです。

集団は煩わしくなることもあるのでその活用はまずかしい所ですが、時に大きな成果を生み出すものです。

これはレスパイトケアにも応用の効く話だと思います。

 

まとめ

からだのことは、ストレスと無関係のように解釈されがちですが、そう遠くないものもあります。

そこに意識が向くだけでも、だいぶコントロールしやすくなるのではないかと思っています。

 

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