逃げるのも一手というようなことを以前どこかで書きましたが、その中で触れた「伝説の中に逃げ込む」をもう少し深堀します。
色々な事に応用が効くようにも思います。
ボロが出ない内にやめたら、伝説の人のままになれる
ある人はこれを卑怯と呼ぶでしょう。
しかしながらこれも大事な一手だと見ています。それは本人に限らず、周囲にとっても良い影響を持つからです。
恋は美しいままに
例えば、泥沼の恋愛も決して悪いものとは思いませんが、最終的にお互いを全否定するしかない結末もあります。
これは、とことん付き合った結果と肯定的に捉えることもできます。
一方、もしどこか早い段階で別れを告げていたら、そこまでお互いを傷つけ合わないままに、美しい思い出として心に残せたかもしれません。
この場合、後悔も含めて美しい思い出はお互いに一生の財産となるでしょう。
携帯電話やソーシャルネットワークの登場がこの感触を忘れさせた一因かもしれません。再会などしない方が、思い出は美しいままだったかもしれません。
あの人、いつもニコニコしてていい人だったなぁ
例えば、何かのサークルで長年運営役にまわっていた人が引退すると惜しまれたりするものです。
何らかの形で関わり続けようとする人もあるでしょう。
しかし、長くいればいるほどボロが出やすくなるなんてこともあるものです。
- 「〇〇さんって、代表の頃はいい意見を言ってくれてたのに、最近はまるでとんちんかんだわ」
- 「あの人何を目当てにたまにくるのかしら?会費はちゃんと払ってるの?」
もし、きっぱりと辞めていれば、いい人だったなぁ・・・というイメージだけがずっと残るはずっだったのにです。
週刊漫画の続編
昨今の週刊漫画雑誌では、しっかりした完結を見る機会が増えました。かつては、完結したように見えても続編、続編・・・だったものです。そして逆に急に打ち切りみたいな作品も多数ありました。
この続編については賛否あります。
確かに、終わってほしくない漫画の続編があったら嬉しいものです。
しかしながら、とってつけたような続編はストーリーが浅かったりキャラが魅力的にならなかったり、過去のエピソードを捻じ曲げたりするものも散見します。
読者の中には、「あそこで終わってた方が良かった・・・」などと言いだす人もいるものです。
伝説の作品が伝説でなくなってしまったわけです。
出て来るよう頼まれた場合は尚更要注意
最後に、より警戒心を持つならば、誰かに頼まれて人前に出なければならないことがあります。
例えば同窓会があります。
その場合、もしどうしても出席するなら短時間で切り上げるなど、やはりボロが出ない内に戻ることが肝心ではないでしょうか。ここぞとばかりにボロを狙っている人さえいるかもしれないのです。
同窓会は十分に楽しめないかもしれません。しかし腹八分目という例えもある訳で、台無しになるよりはずっと良いようにも思えます。