現代社会は、拡大家族から核家族化が進みました。
それに限らず、親戚付き合いも変化している事でしょう。兄弟の人数も減りました。
数十年前は、親戚の叔母さんや、兄弟などなど、一族総出で子育てにあたったことも多かったのではないでしょうか。当時とはずいぶん変わったものです。
昨今は、ワンオペ育児なる言葉が何度も聞かれるようになりました。
育児にレスパイトケア
レスパイトケアとは、一時的な休息を意味します。
つまり育児のレスパイトケアとは、一時的にでも誰かが子供を安全に預かって、育児者に心身の休息をもたらそうとするものです。
時代は変わった
先に触れたように、家族は歴史を重ねる中でずいぶんとその形を変えてきました。
それに伴い、育児・子育ての形も変化しています。
昨今良く話題に上る事柄は、主に母親のワンオペ育児です。
かつてであれば、同居の祖父母がいたり、近所に親戚の叔母さんが住んでいたりと育児を手伝ってくれたようなものですが、それが見込めない時代になってきました。
段々とそうなることは皆気づいていたのですが、本当にそういう時代がやってきました。文明の発展に伴い、様々な家事から時間的にも体力的にも開放されてきたはずなのですが・・・
NHKなど見ていると、育児ストレスに関するテーマも頻繁に目にするようになりました。NHKではなくとも、情報番組で子育て中のタレントなどを交えて活発なやり取りを見かけます。
多くのは夫との対立形式で話が進められていました。
世帯人員数は1人か2人が激増
下記に政府統計資料からの引用グラフをご覧いただくと、1953年から年を経るごとに変化していることがわかります。1世帯が、2人世帯が右肩上がりに上昇しています。逆に6人以上世帯は1953年段階では40%くらいだったのが、令和元年においては5%を切っています。明らかに日本の世帯構造は変化したのです。
現代社会特有といえば、共働き世帯の増加(女性の社会進出)、核家族化、近所が親戚づきあいの減少、人口の一極集中などであろうか。
そして、これらが急速に進んだためイメージだけが先行している、或いは形は変わっても意識だけ従来のままという両面からも様々な負荷を生み出している面があると思います。
育児中は、専業主婦であるなしに関わらず家事に手が回らないものです。そんな中、唯一の同居人である夫が炊事洗濯のできる人であれば大いに活躍することでしょう。
しかし、これはそのトレーニングを受けてきた、ないしは積んできた人でなければ即座に戦力にはなれないことも多く、喧嘩の種にもなるものです。かつては、祖父母や身近な人の協力が相当な力になっていたのではないでしょうか。
それが現代は希薄になっている以上夫にそれを担ってもらうしかありません。一部ベビーシッターの登用を推進する声も上がってきていますが、仕事としてお願いする位の労力を必要としているわけです。
こんなとき、戦力にはならなくとも思いやりがあればやっていけると考える方もあって当然です。
しかし、もはやその次元ではないという声もあり、だからこそベビーシッター論が持ち上がっているのではないでしょうか。
意識改革ということを訴える方もあります。
一つ思うのは、急速に推し進められている社会の変化にとても意識が追いつかないという事です。また、意識を変えることが本当に良い方向に向かって変えて行こうとしているのかさえもよくわからないという思いの人もいるのではないでしょうか。
様々な推進は、政府が言っているのであって、「その人」が望んでいる事とは合致しません。地域によっての違いもあるでしょう。個人の事情もそれぞれです。これを一律に意識改革などして良いものなのか。一律とは言っていないなどとは言っても、大勢が動くと肩身の狭い思いをしてしまう方が出てしまう事もあります。
これも余談ですが、江戸幕府末期に大政奉還がなされました。それにより殿様はいなくなりました。当時のその辺りの心理的な動きがどのようであったのか一度調べてみたいと思っています。武士をすぐに辞めるなんてことができたとは到底思えないところです。
初婚・出産年齢も変化
晩婚化は鈍化しているとは聞きますが、しかし昭和と令和で比較すると、1975年段階では女性は平均初婚年齢24.7才、出産年齢25.7才だったのに対し、2020年では、平均初婚が29.4才、出産が30.7才です。
レスパイトケアを公的に後押し
かつての日本社会の子育てが「互助」で成り立っていたとするならば、社会の形が変わりそこが崩れてきていることになります。そうであるなら、別なものを構築しなくては負担だけが個人にのしかかる結果が目に見えています。
つまり、「共助」や「公助」でその歪を塞いでいかねばならないのではないでしょうか。
「育児 レスパイト」などと検索すると、幾つかの取り組みが出てきました。
- 四日市市:第2子以降子育てレスパイトケア事業
- 山梨県:やまなし産後レスパイトケア推進モデル事業
調べてみると、山梨県が全国初・・・などとする記載も見受けられました。それも令和4年のことです。つまり、行政はようやくこれから始めようとしているところなのでしょうか。
柏市のレスパイトケア
柏市の場合を調べてみると、はぐはぐ柏の中で近い表現が見つかりました。
- 一時預かりぞうさんルーム<かしわファミリー・サポート・センター>(柏市役所HP):子育て中の保護者のリフレッシュを主な目的とした支援活動です。
柏市では、ファミサポ会員なる人々を募って、子育てサポートを構築しています。住民同士が助け合うモデルです。柏市は委託して実際には社協がアドバイザー役を担っている模様です。詳しくは下記リンク先をご参照下さい。
2000名以上の利用会員がいます。対象者は、生後6ヶ月~小学6年までとあります。
(柏市内の人口規模イメージ:2019年10月1日現在で、柏市の0~14才人口は54827人でした。)
その他の自治体のレスパイトケアの取り組みも調べてみました
※現在リサーチ中です。
別な方法も組み合わせてとにかく負担を減らす
洗濯もあれば食事の準備、買い物・・・様々なことが毎日あります。半日・一日単位のレスパイトケアの他にも様々な手を組み合わせて負担を減らせないものでしょうか。
食事を作るまで手が回らない!と、そんな時には出前を頼むなどできれば、少しは軽減されるかもしれません。昔よくあった、食券など回数券のようにあるだけでも助かる気がするのですがいかがなものでしょう。
友人同士のネットワーク構築
結婚した途端に疎遠になった友人がいると感じる事はなかったでしょうか。
多くの人が、良くも悪くもこの話題は耳にするものです。
多くは家族単位での活動が増えた結果なのでしょう。
しかし、友人同士で子育てを助け合う発想はかなり理にかなっていると思うところです。
現代社会においてはママ友という呼び方が定着していますが、それらしきものは兼ねてより存在していました。そして、物凄い力を発揮していたと感じます。
これは友人同士が協力して託児所のような機能を備えることを指しています。
あの人ばかりいつも預けてばかりでズルいなどと割に合わないこともありそうなので、現代型にカスタマイズする必要なあるのでと思いますが、それにしてもこの力は大きなものとなる可能性を持っています。
精神的にも、物理的にも、その外諸々の事においてお互いが支えになります。
これも一種のレスパイトケアと言えるのではないでしょうか。
あまり、多くを求めることはできないかもしれませんが、仮に週1回、2時間だけ自宅のリビングに友達が子連れでやってきて、自分の子供とまとめて見ていてくれるとなったら、早歩きで銀行位は行けるのではないでしょうか。
ワンオペ育児では子供を背負って出かけなければいけないのですから、小回りが利きます。
これを交代で場所を変えて行うわけです。エアコン代も節約になります。
絶対的な安全と信頼関係が必要になります。
もう一つの可能性として、お母さんが二人そろえば、下記のようなこともできるかもしれません。
番外編:疎遠だった友人から急に招かれて行ったら!?
さて、こんな経験をお持ちの方は多いはずです。
疎遠だった友人からある日電話が来て、「遊びにおいでよ~」などと呼ばれるのです。
しかし行ってみるとお子さんが走り回って賑やかなのです。奥さんはプンプンして怒っています。
「久しぶり!ゆっくりして行ってよ!」などと言うわけですが、魂胆はそこにありました。
つまり、友人を使って子供の遊び相手をさせようと考えていたのです。
有志でグループを立ち上げる
友人同士の規模での支え合いも一つですが、もう少し拡大させると自助グループのようなものを作るやり方もあります。
例えば月1回程度、公民館でもなんでも良いので広めの会場を貸し切って、そこに皆で集まり過ごす方法です。
もしボランティアスタッフの協力を取り付けることが出来ればなかなかの組織になります。
そして、お母さん方はそこに子供を任せて、外出するのです。
運営には根気がいり大変ですが、会費は格安に抑えることができるでしょう。
これは、圧倒的な現実に対するレジスタンス的活動です。
時間が出来たら何をする
もし、育児から一時的に離れたらどのような風にお過ごしになられるのでしょう。
これは自由ですので、それぞれのご希望になります。罪悪感を感じてしまう方もあるかもしれませんが、このような時間にリフレッシュしたら、また笑顔で子供に会えるかもしれないわけですから、それはお子さんのためにもなるわけです。
- 買い物
- とことん寝る
- 趣味に使う
- 美容院に行く
- リラクゼーションサロンに行く
- 友人に会う
などなど、一回では足りません。
また、これらは公的に点在していますが、かつて道端で行われていた、ご近所機能のようなものが希薄化しているならば、公的な「寄り合い」のような場所も必要に感じます。
行政は「溜まり場」を嫌う設計をするのように見受けられますが、その知見があれば人が溜まる場所を作ることも可能なのではないかと思うところです。