人は、あれさえ片付けばどんなに素敵な事でしょう!とこんな思いを一つや二つ抱えているのではないでしょうか。
片づけに限らず、「これさえなければ・・・」という思いはたくさんあると思います。
これさえなければ・・・
例えば、引っ越しの時に梱包された段ボールの山が、長年押し入れに眠っていたりするものです。
その領域面積は、アパートの1/10程になっているかもしれません。
あれさえ片付けば、もっと整理が進むのに・・・
そう思うのも当然のことです。本来だったらそのスペースに色々な物を置くことが出来ますし、押し入れが使えないために散在している物を避けるため、わざわざまたいだり、身をすぼめて部屋の中を移動する必要もなくなるのです。
そんな思いからついに、その青年は連休に思い切って段ボールを取り出しついに片づけにかかりました。
6年間それは眠り続けて、占有していたのです。
これまで何度も取り掛かろうとしていましたが、どうしても取り掛かることはできずにいたのでした。
この6年間にしていたこと
この6年一体何をしていたのでしょう。さっさと片付けてしまえばいいようなものですが、そうはなりませんでした。どうやらわりと忙しい生活を送っていたようです。幾つもの山を越えては越えてを繰り返していたそうです。
疲れて帰るたびに、押し入れが使えればなー・・・・とつぶやいていたそうです。
ある日、片付けを思い付き実行
そしてある晩の事です、その日だけはめげずに取り組むことができたのでした。
そして、悪戦苦闘の上いよいよ悲願の終止符を打ったのです。
綺麗に片付いたそのスペースは一体どのように有効活用されるのか、なにより気分はどうなったのでしょう?
感想としては・・・さほど変わりない!!
結果的には、なんと・・・さほどの変わりはないというところでした。
これをどう捉えたら良いのかしばらくは動揺したものです。もっと開放感に包まれても良いのではないか?と虚しささえ覚えたものです。ついに因縁の段ボールを片付けたというのにです。
この場合
- 押し入れを片付けたら→良い意味で何かが動く、何かが大きく変わる
ではありませんでした。つまり、これまで期待していたのは、押入れが片付いて部屋も快適になったら、生活全般がもっと過ごしやすくなるだろうというものでした。そういう順番で考えていたのです。
何かが動いたから→押入れを片付けた
今回の場合は、何かが動いたから→押入れを片付けた
の方が近いようでした。
このような解決方略はあまり用いられないものですが、不思議なものです。
押し入れのことではなく、別な事を進めていたらその内に押入れが片付いてしまったということなのです。
これを考察することは困難ですが、6年間の別な取り組みが、何かを生んでいたのでしょう。例えば、数々の難題を片付けた経験から得た力、あるいは数々の難題を片付けて得た余裕などです。
余裕が波及した結果・・・とみるのが妥当でしょうか。もう少しふさわしい言い方があるように思っています。因みに片付ける前辺りから絶好調だったそうです。
どこかの国の諺にもありそうな展開です。それらしいものを並べてみます。
少し探してみました
諺ではありませんが、井上陽水の曲中にも興味深い歌詞があります。正式な歌詞はリンク先をご参照下さい。必死になって何かを探してみても見つからないことがあります。そして、ふとしたときに見つかるのです。こんな経験をお持ちの方は多いでしょう。どこか似ている話に聞こえます。探している時には夢中になり過ぎて視野が狭くなっていたのかもしれません。
- 錬金術の副産物
金を人間の手で作り出せたらなどと考えた時代があります。本当に必死だったようです。広い意味での錬金術とは金に限らず、肉体や魂などにも及ぶそうです。それはおいておくにして、ついには金を作ることはできませんでした。ですが、副産物として様々な試行錯誤の取り組みが化学の発展に寄与したのです。
- 急がば回れ
方向音痴の身としては染みる諺です。急いでいる時こそ、普段乗らない電車に乗り換えてみたり、道もショートカットしてみます。たいていは、こんなことならいつもの道を行けば良かったと後悔するのです。回り道が一番近道な事があるのでした。
- 一度始まったものは片付かない 夏目漱石
どこかの一節にこんな話があったのです。この世の中で一度はじまったものはそれがなくなることはないので、つまりはどう折り合うかというような話だったと記憶しています。
もっとたくさんありそうなものなので、徐々に書き足します。
まとめ
目の前の課題に圧倒されたとき、ひとまず別な事を取りあえずにでも進めて行くことは、時に、元々の難題をいつの間にか解消してくれることがあるようです。
気持ちの整理を行う際にも、場合によってはこんな視点もあってよいかと思います。