社会的にカウンセラーを各領域に配置する動きが進んでいます。最も代表的な例としては、スクールカウンセラーの配置が挙げられると思います。
1995年から試験導入がはじまり、現在では、カウンセラーの配置が当たり前のようになっています。この動きは、大学や専門学校へも広がったと考えられ、どこの教育機関にもカウンセラーの存在を感じるようになってきました。
新しくカウンセラーを配置
背景には社会的な期待(不登校児童・生徒などへの支援の面で)というものもあったのだと思いますが、カウンセラーが登用されたからといって、問題と考えられていることが一変するわけではありません。
その他、総合病院においてもカウンセラーの配置が進んでいます。もともと、精神科以外の科で活動するカウンセラーは存在しましたが、がん対策基本法が作られてから、カウンセラーが、身体科の中で活動する場面が増えて行ったように感じます。
新しい職種が、もともとある組織の中へ新たに入っていくという際には、様々な期待やイメージを持たれることがほとんどだと思います。精神科医とカウンセラーの専門性の違いという点もなかなか理解が困難な点かも知れません。こうした点は、チームとして協同する中で、徐々にお互いの専門性が理解されていくという、ある種時間が必要なのではないかと感じています。
配置後の構築が重要
ある種の時間が、必要と述べましたが、現場サイドの期待感からすると、直ぐにでも活動を始め、そして納得のゆく結果を出して欲しいという強い希望があると思います。
カウンセラー側としても、その期待に応えられるような態度は必要だと思います。
しかしながら、心理カウンセラーの専門性とは何か?という点を、常に考えておく必要があると思います。
一体、自分自身の専門性がどのような形で、どう役立てることが可能なのか、他の職種が既に行っていることなのか、将来的に他職種が担う事なのか、このような観点を日々持つことが、その現場において、有益な活動をすることに繋がるのではないでしょうか。
専門性を外れた方向へ迷走
カウンセラーのとっても始めての現場では、専門性とは別な方向へ、自身の活動が迷走する可能性も秘めていると思います。
目の前で、他の職員が忙しそうにしていたら、それはその組織の1スタッフとして、とにかく手伝うという態度は当然のことだと思います。これは、専門性とは関係なく、仲間として重要な態度であります。このようなことは除くにしても、早く自分の活動を充実させようとし過ぎて、迷走することもあります。
はじめての配置だから、などとばかりも言っていられない現実もあるわけです。
関連サイト:現場の混乱を招き、ひんしゅくを買うカウンセラーの不遜な態度
保護者も困惑させている可能性がある
今の40代、50代で中学生くらいのお子さんがいる家庭では、その両親が中学生の頃スクールカウンセラーの存在はごく僅かでした。そのため、一体何をしている人なのか、保護者にとってもわかりにくい存在になっているのではないでしょうか。
時に、スクールカウンセラーと喧嘩した人もあるかもしれません。
まとめ
大いに期待される事、これは光栄な事であるかもしれませんが、専門家やってくれば全ての問題は任せられるし、問題も解消されていく、と考えたくなるのはわかります。ですが、実際のところはそう単純な事ではないわけです。お互い協力し合い認め合えるような関係が求められるのではないでしょうか。