昨今、「うつ」という言葉が日常生活の中で頻繁に聞かれるようになりました。一昔前は、心療内科や精神科クリニックが現在ほど多くありませんでしたが、2000年代後半から10年程の間に、日本各地で開院されていきました。
それに伴い、「うつ」も、より身近なこととして、我々の生活に認知されるようになっているのではないでしょうか。
鬱を漢字で書ける人は少ない。その成り立ちとは
さて、平仮名で「うつ」と書くと、その意味は響きやイメージに寄りがちになりますす。おそらく、多くのイメージは、エネルギーを使い果たした状態や、勢いなく沈んでいるような状態に近いと思います。確かにこのイメージは間違ってはいません。
また、うつは漢字でも表すことができます。しかし、その文字は非常に難しく、漢字検定でも1級辺りに出題されるのではないかと思います。
とても、覚えられそうにないほどに29画数と多く、色々なものが入り混じっている漢字です。筆で書いたら、細かい部分はより表現できず、真っ黒にしてしまいそうです。
また、何度も練習して書き方を覚えたとしても、とても1年後にまた書けるかと思うと不安です。苦労の割には徒労に終わりそうです。
しかし、専門家は書けなければいけないのでしょうか?
鬱を使う表現から得られる示唆
日常ではまず見かけない漢字ですが、「鬱蒼」という言葉であれば、使ったことのある人も多いと思います。それから「鬱勃」(うつぼつ)などという表現もあります。これは長く生きていても使ったことがない表現です。
鬱蒼
鬱蒼とは、木々がやたらめったらに茂った様子を指したりするときに用います。
この用法を聞くと、「鬱」はエネルギーの枯渇というイメージよりは、どこかエネルギーの充満という方がよりイメージに合いそうでもあります。行き場のないエネルギーが、どんより漂っているような光景が浮かんできます。
カウンセリングにおいても、鬱がテーマとなることがあります。一般的に、休息が大前提ですが、しかし、充満、滞りというイメージも合わせて考えると、もっと別な視点も必要なのではと感じています。
鬱勃
「うつぼつ」とは、内にこもっていたものが外にあふれ出ようとする様を表しています。「勃発」と「鬱」を組み合わせたような意味合いでしょうか。
音読みと訓読み
音読みでは「うつ」ですが、訓読みでは「しげ」です。
これは、鬱る(しげる)とかくという事なのでしょうか。そして「しげる」とは、木々が茂る様を表しているのだとしたら、尚更にエネルギーの充満を想像する言葉として感じられてきます。
また、鬱の音読みの方にも語源があるようなのですが今のところ不明です。まさか阿吽の「うん」を示しているというのでしょうか。
鬱蒼と充満するエネルギーをどこに注ぎたいのか
どの方向にエネルギーを使いたいのか、どの方向なら充実感が得られそうか、このようなこともお尋ねしたくなってきます。
考えてみれば、我々は、どうでも良いようなことにエネルギーをたくさん消費させられることがあります。
例えば、形式だけの書類作成などは、面倒ながら、充実感を得られるようなものではありません。
あまり、神経を込めすぎて消耗するよりは、ある程度流してしまった方が良いのでしょうか。他にもたくさんやることがあるわけですから。しかしなかなか、されど1枚の書類がやたら重かったりもして、非常に大変な世の中です。
まとめ
鬱の成り立ちまで遡ると、一般的に想像するうつのイメージとは別なものが見え隠れしていました。もちろん、これは鬱の時に休まなくて良いという話ではありません。