シンクロニシティという言葉は、一つには、ユング心理学に触れる中で出会うことがあります。リフレーミングとはという記事を書きましたが、リフレーミングはテクニックやスキルという発想のもと用いるものではないだろうという所感を持っています。
考え方によると思いますが、リフレーミングが成立するには、シンクロニシティ体験のような、小手先でない何かがうごめいているように感じるからです。
カウンセリングの中で、別な見方として、物事に対するある見方をご提示することはありますが、その見方を押し付けることは最も避けたいことなのです。
シンクロニシティ体験
シンクロニシティとは、二つの出来事間にある意味のある一致のことを指す概念です。少し非科学的なのではないか?とお感じになる方もいるでしょう。
例えば、ピアノを学ぶ青年がいたとします。その青年が、ピアノに迷いを感じ旅行に出たとします。こんな時、ピアノを続けようか辞めようか迷っていたかもしれません。旅先では、どこにいても何か気持ちが落ち着かず、あちこち動いた挙句に落ち着くと感じた木の下で居眠りをしたとき、それがピアノの材料に使われるブナの木のだった。
というような偶然が起きたときです。この青年は意識して木の下を選んだわけではなく、ましてその気がブナの木であることも知りませんでした。その木の下が最も落ち着いたということをこの青年がどう体験するかという点が注目されるところです。
このような体験のことをシンクロニシティと呼んでいいのではないかと思います。
冒頭の方で、リフレーミングをテクニックと考えていないというようなことを書いていますが、もし上記の青年がカウンセリングに訪れて、上記の語りを聞いていたとしたら、カウンセラー側にも、この青年はやはりピアノを続けたいのではないか?とか、この旅行はそれを確かめるために必要なことであったとか、ブナの木がそれを示してくれた、などという連想が自然と生じてくるわけです。
きっとカウンセラーは<そのエピソードは、ただの旅行の話というだけではないように聞こえます。私には・・・>などということを伝えたくなるでしょう。
こうしたときに、意味のあるやり取りがカウンセラーと青年の間で行われ、青年が旅行に出かけたということに、別な見方を提示できるのではないかと感じます。
このようなテーマは一つ一つ丁寧にお話を進める必要があるでしょう。そうでなければ、きっと表面上のやり取りに終始する結果となるのではないかと感じます。