カウンセリングでは目的論的発想が用いられることがある

下駄の鼻緒が切れる カウンセリング

我々は物事を捉える時に、どんな考え方をするでしょう。

例えば、下駄の鼻緒が切れたら何か不吉な予感がしますが、単に古くなったからとも考えられます。

捉え方にとってまるで別なストーリーへと変わってしまうようです。

目的論的発想を用いるカウンセリング

物事の捉え方の一つに、目的論が挙げられます。対になる捉え方は機械論とか因果論、原因論などと呼ばれます。

厳密な定義は抜きにしたいと思いますが、カウンセリングでは目的論的な発想をとる場合があります。(「的」というように曖昧な表現としておきたいと思います)

もちろん因果論を軽視する立場ではありません。科学の発展は因果論によるところが大きいわけですし、我々はその恩恵をたくさん受けています。

ここで言いたいことは、目的論的な発想を取り入れることによって、より腑に落ちる理解が可能になることもあるということです。

既に、過去の記事に記してきた例もありますので、そちらをご参照頂きたいと思います。

関連サイト:因果論についてはこちらをご参照下さい。

目的論的発想のもとに書かれた関連サイト内の記事

関連サイト

カウンセリングに取り入れられる独自の視点:ゲリラ豪雨に意思があるとは言いませんが、雨が降りたがっていると感じることがあります。そうすると次第に雨が降って来るのです。

希望につながることも

さて、目的論的発想は時に希望を生み出すこともあります。

つまり、因果論に基づく理解では散々な事柄であっても、実は何かの意味があったと捉え直されたときには、時に希望につながるのではないでしょうか。

人生レベルの意味を見出すこともあれば、過去や自分の在り方、受験や仕事など多岐にわたって、見方の転換が起きる可能性を持っているようです。

カウンセリングにおいては、対話を通して進めて行きます。腑に落ちたとカウンセラー側も感じることがあり、それは単に理解とか思考という次元ではないように思われます。

腑に落ちるという表現が今のところしっくりきます。

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