「カウンセリングって何をしてくれるところですか?」
このような疑問を抱く人は少なくないと思います。
「カウンセラーはアドバイスがないんですね」、「不思議ですね」と納得して二度と利用しようとは思わない人も多い事だろうと思っています。
通常の相談のモデルとカウンセリング
我々は生活の中で自分で解決できない疑問や問題に直面したとき、誰かの援助を求めることがあります。
身近な話では、宿題の問題がわからないので友人に電話で教えてもらおうとする、とか道に迷った時にコンビニで道を尋ねるようなことである。
こういうことを我々は自然と普段の生活の中で経験してきているものです。
つまり、流れを記すと下記のようになります。
- 問題が生じる→自分では解決されない→他者に援助を求める→他者に助言や手助けを得る→問題の解決
中には学校の先生のように、宿題の一番大事な答えの部分だけは「自分で考えるように!」などと言って教えてくれないこともあるでしょう。
また、もう少し専門的な例を挙げれば、財産相続の手続きがわからないとき我々はそれを知っている法律の専門家のもとへ相談に行き説明を受けることもあれば、確定申告の細かい点を会計事務所に相談することもあります。
これらは正確な知識をもった人に聞くことで問題はだいぶ解消されるものであります。(もちろん簡単なことではないことは言うまでもなくです)
カウンセリングの場合はどうでしょう
さてカウンセリングの場合はどうでしょうか。
会計事務所に行けば、知りたいことは事務所の人側が調べてでも教えてくれることがほとんどでしょう。
カウンセリングにおいても知識や情報の提供ということであれば、同じような形をとることもできるとは思います。
しかしそれはカウンセラーのもとに訪れずとも解決することであったり、カウンセラーではない人が知っていることであったりします。
カウンセリングについては多くの場合、準備された回答がない問いかけであると言えないでしょうか。
そういう性質のテーマを帯びていることについては、辞書や専門書を広げても答えが書いてあるものではないわけです。多少の統計データのようなものや一般論は導き出せたにしても、どういうわけかカウンセリングの中ではそういう類の物が役に立つことは滅多にないような感じすらします。(データや一般論を題材にということであれば有用にもなりえるのでしょう)
カウンセリングもそもそもは、心理的な苦痛を和らげるとか取り除くとか、医学的な文脈に沿ったものだったのでしょうが(そして現在もそのようなニーズがあることには違いなく)、どうやらそれだけでは物事は進展しないこともあり、非常に複雑で幅の広いものと捉えることになるのだと思っています。
心理療法序説(1992)の中で河合隼雄氏はほとんど不可能とした上で心理療法を定義しています。
また心理療法の原則を、自己解決、自己処理などと記した専門書もあります。
一カウンセラーとして、やはりその人にとってという視点が重要だと感じている。
それはアドバイスという風に観察される形を取った行為に見えるかもしれないものですが元々準備されたものではなく、対話の中に生成された「その人にとっての回答」ということになるであろうと思っています。
成果とは何か
なかなか現代社会のコンビニエンスストアやチェーンレストランのようにはいかないものです。
カウンセリングとはこういうものですと、開き直るような態度はどうかとおもうところであるし、早ければとにかく良いというものでもないわけでありながらも・・・などと葛藤しながらそれでも援助の質を高め時代の要請に応えられるよう研鑽していくことが必要とされているのだろうと日々感じている所です。